吉備の国アート巡り(12) 李禹煥美術館。

宮浦港へは、民宿のおやじさんが迎えにきてくれていた。宮浦から民宿のある本村までは島を縦断する感じ。とは言っても車で5、6分の距離。
宿に小さなリュックを置き、まずはベネッセのアートサイトへ。宿からは町営バスとベネッセエリア内はベネッセのシャトルバスを乗り継いで、と考えていた。と、宿のおやじさん、「混んでいるかもしれない。まず最初は一番奥の地中美術館まで行った方がいい」、と言い、「そこまで送ります」、と言う。
たしかにフェリーには多くの人が乗っていた。しかし、美術館がギュー詰めになるほどのものとは思われない。が、おやじさんの言葉に甘え、地中美術館のチケット売り場まで送ってもらった。
車を降りると、「整理券を受け取ってください」、という声が聴こえる。「今、2時半から3時に入館の整理券をお配りしています」、とも。時刻はまだ12時前である。それなのに地中美術館に入るには、3時間近くも待たなければならないのか、それほどの人がいるとは思われないのに不思議。
仕方がない。整理券をもらい、先に李禹煥美術館とベネッセハウスミュージアムの方へ行くことにする。李禹煥美術館までは下りであるし。

ベネッセハウスや李禹煥美術館はこっち。

コンクリートに李禹煥美術館の文字。

前方にコンクリートの壁。その前には、大きな石と高い柱が立つ。さらにその右手には鉄板が横たわる。「柱の広場」である。
李禹煥美術館、李禹煥と安藤忠雄のコラボなんだ。建物や広場などの設計は安藤忠雄の手になる。そこに配されたものは李禹煥の作品、という具合に。が、この18.5メートルのコンクリートの柱は、安藤忠雄の広場が設計された後、李禹煥がつけ加えたものだそうだ。
李禹煥と安藤忠雄、共に、「オレは」、という気概を持つ創作家、この柱をつけ加える時にはバチバチッていう火花が飛んだに違いない。

少し離れ、こちらから見てみよう。自然石と鉄板の造形。
1936年、韓国慶尚南道に生まれ、若くして日本へ来て学び、世界のLee Ufanとなった李禹煥、「もの派」の巨匠である。

自然石。

鉄板。
ものそのもの。

この間を通り館内へ。

安藤忠雄の得意技のひとつ・コンクリートの通路を進む。

コンクリートの壁面に何やら。

李禹煥の作品。
金属ではなさそうだ。焼き物に思える。

突き当たり、黒っぽくなっているところが、館内への入口。

李禹煥美術館のパンフを複写した。
「沈黙の間」、≪「関係項ー沈黙」2010≫。鉄板、自然石。
館内、「出会いの間」、「小間」、「影の間」、「瞑想の間」、と続く。

出てくる。

空が見える。

鉄板の周りには、二組のカップルがいる。
暫らく後、彼らは去っていく。

外国人の年配の女性二人連れが、腰を下ろして李禹煥の「もの」・石と鉄板作品を眺めていた。