国際市場で逢いましょう。

今日、朝鮮中央通信は、金正恩が韓国を想定した北朝鮮軍の上陸訓練を視察した、と報じた。今、来月末まで続く米韓合同軍事演習が行われている。だから、北朝鮮も軍事演習を行っておかしくはない。
ではあるが、原子力空母も参加している過去最大規模の米韓合同軍事演習に対するに、北朝鮮の軍事演習は、その実情は知らないが、品のない言葉を使えば”屁のツッパリにもならない”規模であろう。ましてや、時代遅れの外套を着た30ちょっとの若造が国の最高司令官なんだから、危ないったらない。
朝鮮半島、今も南北の対立は続いている。1950年の朝鮮戦争以来。

1950年6月、北朝鮮軍の韓国への侵攻によって朝鮮戦争は始まった。
開戦初期、北朝鮮軍が押していた。中国の参戦もある。1950年末、興南(フンナム)撤収作戦が行われる。この作品の主人公・ドクス、興南埠頭で父親と妹に別れ別れとなる。父親の最後の言葉は、「ドクス、お前は長男、家長として家族を守れ」、と言う言葉。
ドクス、母親と弟妹と共に釜山(プサン)の国際市場に流れ着く。闇市だ。そこで生きていく。

『国際市場で逢いましょう』、監督は1969年生まれのユン・ジェギュン。
自らの父親に擬した物語を紡いたそうだ。
昭和30年代初頭を描いた映画『Always 三丁目の夕日』に、その雰囲気はとても似ている。しかし、集団就職や東京タワーといった郷愁が表に立つ物語と異なり、激動の韓国現代史といった物語でもある。
その中で、主人公のドクス、家族のために時代を泳ぎ切る。自らの進学は諦め、弟を進学させるために働く。

60年代、西ドイツへ出稼ぎに行く。炭鉱労働者として。落盤事故が起きる。炭鉱経営者は坑道を閉めることを表明する。そうなれば、坑内の作業員の命は絶たれる。韓国からの出稼ぎ労働者が動く。坑内の仲間を救い出す。
涙がジワッとあふれだす。韓国人の場合には、なおのことであろう。
70年代となる。ベトナム戦争である。ドクス、技術者としてベトナムへ行く。ここでも厳しい時代を生き抜く。

『Always 三丁目の夕日』と異なり、『国際市場で逢いましょう』東西対決、国際関係論の世界なんだ。

が、「そこにはいつも家族がいた」、というフレーズも含め。

老年期に入ったドクス、釜山(プサン)の港が見下ろせるところに女房と座っている。
ドクスの妻は、かってドイツへ出稼ぎしていた頃、やはりドイツへ看護師としえ出稼ぎに行っていた女性。来し方を語りあう。
本作、韓国では大ヒットしたという。そうであろう。涙、涙のエンターテインメントとしても秀作である。