村上隆の五百羅漢図展(続き×2)。

いよいよ村上隆の五百羅漢図へ行く。
「村上隆の五百羅漢図」、英文表記は”Takashi Murakami:The 500 Arhats”。「羅漢」って、”Arhat”というらしい。阿羅漢だ。
じゃ「五百羅漢」ってなんなんだ。
<五百羅漢とは釈迦の教えを広めるため、煩悩を滅し人々を救済するため、この世にとどまっている聖人です>、と同展のチラシにある。要するに、500人のお釈迦さまの弟子。
あ、昨日忘れたことがひとつある。
芝・増上寺の五百羅漢、描いた絵師のことを書き漏らした。その絵師の名は狩野一信。100幅中2幅がとは記したが、狩野一信、五百羅漢図100幅を10年かけて描いたそうだ。それほどの信念の絵師の名を書き漏らすなんて、バチが当たる。
ところで、村上隆の五百羅漢図、そもそもは「藝術新潮」誌上での辻惟雄との「ニッポン絵合せ」からのものであるが、忘れてならないのは、あの東日本大震災である。
あの大震災の後、人々はさまざまなことを考えた。
私の場合は、津波に流された痛みを共有するには、ともかく、津波に襲われた三陸沿岸の地へ行くべきだ、と思った。しかし、交通手段がなく、宿もなかった。一日2便のみというバスが走るようになった三陸沿岸へ行くことができたのは、10か月後だった。釜石の港はひしゃげていた。大船渡は町自体が無くなっていた。
村上隆の場合は、こういうことを考えたようだ。
会場内の展示から。

ところで、村上隆の五百羅漢図、高さ3メートル、長さ100メートルである。
如何に描くか。
村上隆、全国の美大の学生に呼びかけた。200人超の美大生が村上隆の五百羅漢図プロジェクトに集まった。
工房システムである。
洋の東西を問わず、工房と言われるものは多くある。狩野派の工房、ルネッサンス期の工房。しかし、200人を超える工房を持ったものはないのでは。村上隆、それに加えて会社組織のカイカイキキの従業員も抱えている。
村上隆、これらの人たちを細分化し編成、24時間シフトの体制で100メートルの五百羅漢図を作成したそうだ。
進もう。

五百羅漢図、中国の神話に現れる四神によっている。いずれも霊獣である。
上は、白虎(左)と青龍(右)。

白虎。
白虎、西であり、秋でもある。
以下、白虎25メートルの模様を。



青龍。東。



玄武。北。




朱雀。南。




玄武と朱雀を振りかえる。