村上隆の五百羅漢図展。

マンガやアニメにはまったく疎い。フィギュアといったものもからきし知らない。そうは言っても、今、日本のこれらの文化が世界の先端を行っているんだ、ということは知っている。が、その実態はまったく知らない。
だから、と言っていいのかどうか解らないが、村上隆が好きではなかった。フィギュアのようなものを作ったり造ったりする村上隆が日本を代表する作家だということが、心の中で受け入れられなかったのだ。
ひと月ほど前、K.O.から島谷晃展の模様、神奈川新聞にも載った、とのメールがきた。メールの末尾に、村上隆の五百羅漢展を観たが圧倒された、まだ観てないなら是非に、とのことが記されていた。
K.O.へは、実は村上隆が好きではない。マンガとかアニメとかフィギュアといったものを知らないことにもよるのであろうが、と返信した。
ところが、どうも気にかかり、先日観に行った。
驚いた。ビックリした。
村上隆、こういう作家だったのか、と。

地下鉄六本木で降り、森ビルの方へ歩く。
傾いだ円柱には”村上隆の五百羅漢図展”のポスターが。

ここには地表を這う看板が。

エレベーターホールへの階段には、垂れ幕が。
森美術館、これでもかと盛りあげる。

53階の森美術館入口には、これが待ち構えていた。
村上和尚像である。

顔が割れている。
京博に寄託されている西住寺の重文・”宝誌和尚立像”を摸している。なるほど。

会場内へ入る。
ワオッ。凄い。スゲー。

初っ端は《円相》。
アクリル、プラチナ箔、カンヴァス、アルミニウム・フレームにマウント。

右側の作品は、≪宇宙の深層部の森に蠢く生命の図≫。
アクリル、金箔、プラチナ箔、カンヴァス、アルミニウム・フレームにマウント。
以下、ほぼ同じ。

こうきて、

こうなる。

これは何々、と解る人にはすぐ解るのであろう。
が、私には解らない。

これも。

振り返る。
金色の作品は、≪宇宙の産声≫。
村上隆が10年以上作り続けている作品、という。

その根元には周りが写りこむ。

(右)南無八幡大菩薩。(中)真の白シロスケ。(左)君は空洞、僕も空洞。
どういうことか。解らんじゃないが。

んーん。
左端の方から。

《慧可断臂図》。

この日夕刻、丁度森美術館学芸員による解説ツアーにも行き会った。
学芸員こう言う。「慧可断碑図、雪舟、室町時代」、と。
時折り学芸員の解説についたが、なかなか解りやすい解説であった。

達磨大師像。
”村上隆の五百羅漢図展」、まだまだ続ける。あと数日は。
が、今日は、これで打ち止めとする。
ただ、六本木の森美術館での”村上隆の五百羅漢図展”、明日6日でお終いである。
なんとも言えぬ得難い展覧会”。”生きるの死ぬの”ということでないお人には、明日一日、六本木の森美術館へ行くことをお勧めする。
それほどのものである。