永青文庫 春画展。

一昨年10月から昨年初めにかけて大英博物館で催された「春画展」は、9万人を動員し大盛況であった、という。その模様を当時、「藝術新潮」では大特集を組んでいた。このところの「藝術新潮」、その扱いに多少の違いはあるが、年に一回ほどは春画がらみの記事を組んでいる。
ところで、印刷物にボカシが入らなくなったのは、何時のころからであったろうか。10年ほど前からではなかったか。
10年にしろ、印刷物の世界では春画は解禁という状態であるが、展覧会となると、なかなか困難を極めた。引き受ける美術館がないんだ。皆、腰が引けている。大英博物館でできたものが、本家本元の日本でなぜ開けないんだ、と思っている輩は多くいた。
肥後細川家の18代当主である細川護熙は、変わった男ではある。
1年も経たずに内閣を投げ出したり、最近ではこれも変人の小泉純一郎と組んで、脱原発の旗印を掲げている。
が、その日常は、侘び寂びの世界に生きる趣味人である。趣味の世界に生きる殿様、永青文庫の理事長でもある。
「なら、私の文庫、美術館を使ってください」、と言った。さすが殿様だ。

11月下旬の永青文庫入口。
日が落ちた後、夕刻6時すぎであったろうか。

向こうの方に建物が見えてくる。

永青文庫、小ぶりな4階建て。
肥後・熊本藩の江戸屋敷のあと地に建っているそうだ。

建物の壁に掛かる「春画」の文字は、当主・理事長・細川護熙の手になるもの。

「春画展」のチラシ。
この”ウーン何とも”の絵柄、喜多川歌麿の大判錦絵≪ねがひの糸口≫の部分。日文研・国際日本文化研究センター蔵。

プロローグの鈴木春信の作品・≪煙管≫。
<まだ愛を交わす前、そっと引き寄せ、裾に手を入れるのが、・・・>、というもの。

≪狐忠信と初音図≫(春画屏風)。
江戸期であるが、作者は不詳。

喜多川歌麿≪歌満くら≫。
春画、平安時代からの歴史を持つが、花開いたのは江戸期。渓斎栄泉、歌川国貞、月岡雪鼎、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、葛飾北斎、・・・・・、今に伝わる浮世絵の巨匠、ことごとく春画を描いている。
が、歌麿はやはり格別。

鳥居清長≪袖の巻≫(部分)。
柱絵横判錦絵。天明5年頃(1785年)。所蔵先は、東洋文庫と国際日本文化センター。
ウヌッ、この袖の巻、見覚えがある。
昨年、アートフェア東京2014に、角匠が≪袖の巻≫10枚を出展していた。赤丸がついていた。
角匠の人に訊いた。
「幾らなのでしょうか?、買った人はどのような人なんでしょうか?」、と。
値段は、12枚揃いならば4000万円ぐらいだが、2枚欠けているので1700万円である、と。また、買ったのは日文研・国際日本文化センターである、とも教えてくれた。
この日出ていた≪袖の巻≫、その時のものかもしれない。

永青文庫の本館を出、少し歩いたところ。
それにしても、春画展へ来ている人、女性が多かった。ひとりという人もいたが、女性何人かでという人が多く目についた。皆さん、概ねドレスアップしている。和服姿の人も見られた。
ここでは載せてはいないが、春画というもの男女の交わりそのものを描いたものである。即物的なんだ。もろ、そのもの。それも誇張して。
だからであろう、多くの女性、キリリと身を整えて来ている人が多かった。

いや、この先はミュージアム・ショップ。

そうではあるが、この白壁に落ちる樹影、何とも言えぬ趣がある。

永青文庫、文京区目白台にある。
目白台、JR目白の駅を降り、学習院、日本女子大、椿山荘と続く。高台である。
永青文庫を出てすぐ右側の道は、こういうもの。胸突坂。
勾配が急なこの坂を下っていけば、学習院とは対極の、貧乏人の子倅が全国から集う早稲田に行き当たる。