ヴィヴィアン・マイヤーを探して。

2007年、シカゴのオークション会場。歴史好きの青年がネガ・フィルムがぎっしり詰まった箱を、わずか380ドルで競り落とした。撮影者の名は、ヴィヴィアン・マイヤー。競り落とした若い男の名は、ジョン・マルーフ。
ヴィヴィアン・マイヤーって何者だ、ジョン・マルーフは思う。ネットで検索しても分からない。で、その一部をブログに載せた。と、凄い反響が返ってきた。
2年後、ヴィヴィアン・マイヤーの素性が分かった。その数日前に死んだ、という情報で。
83歳で死んだヴィヴィアン・マイヤー、ナニー(乳母)をしていた女性であった。生涯独身、子供もいない。ナニー、住み込みの乳母である。だから、家もない。
ジョン・マルーフがブログにアップしたヴィヴィアン・マイヤーの写真、絶賛を浴びる。凄い写真家だと。その数15万点。しかし、生前には1枚も発表されていない。どういうことだ。
ジョン・マルーフ、ヴィヴィアン・マイヤーの写真展をシカゴで、ニューヨークで、ロスで、パリで、ロンドンで、と開催する。大評判を呼ぶ。写真集も飛ぶように売れる。
ジョン・マルーフ、ヴィヴィアン・マイヤーを追いかける。

ジョン・マルーフ、ヴィヴィアン・マイヤーを追いかけるドキュメンタリー映画を撮る。
『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』、監督はもちろんジョン・マルーフ。第87回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた。

ジョン・マルーフ、ヴィヴィアン・マイヤーに関わりがあった人たちを訪ねる。
何年から何年までウチのナニーだった、というような人たちを。

ヴィヴィアン・マイヤー、変わった人だったようだ。様々なものを溜めこんでいたそうだ。アクセサリーやシャツはまだしも、新聞やレシートの類まで。写真は当然。
シカゴの歴史好きの若者・ジョン・マルーフ、ヴィヴィアン・マイヤーのキュレイターとなっていく。

ヴィヴィアン・マイヤー、ストリート・フォトグラファーと言える。
町中での一瞬を切り取る。モノクロのその一瞬、時代を写しとっている。

もしこれらの写真が生前に発表されていたら、20世紀の写真史は違ったものであったろう、という専門家も。

ヴィヴィアン・マイヤー、セルフポートレイトも多く残している。
手にしているのは、ローライフレックス。
それにしても、何故に15万枚もの写真を人知れず。


今日、酉の市、二の酉である。
熊手を買い替える人に誘われ新宿、花園神社へ。

花園神社社殿には多くの提灯が。

その人、運を変えたい、との思いあり。前年まで買い替えていた店を変える。
”笑門”の熊手を求める。

”商売繁盛”、”家内安全”、”交通安全”の札が刺される。稲穂その他も。
で、最後はイヨーで始まる三本締め。”シャシャシャン シャシャシャン シャシャシャン シャ”が3回。
この後、しこたま飲み食いし遅く帰った。年の瀬なんだな。