ターナー、 光りに愛を求めて。

イタリア、スペイン、フランス、さらにはフランドル、といったヨーロッパ世界において、アートの分野でのイギリスの存在感はやや薄い。これはとびきり桁外れに凄いという絵描きは、ターナーと近場のフランシス・ベーコンの二人のみといっても過言ではない。
J.M.W.ターナー、若いころから才能が認められ、弱冠27歳でロイヤル・アカデミーの会員となっている。パトロンも多くついた。昨日の葛飾北斎より15歳年少であるが、北斎と異なり金には不自由しなかったようだ。
ただこの二人、その性格はよく似ている。共に自信家であり共に偏屈である。そりゃそうだ。気のいいおじさんじゃアートの巨人にはなれないよ。
そのターナーの50代から1851年76歳で死ぬまで、晩年、ほぼ四半世紀の物語である。

有楽町のヒューマントラストシネマ、時として天井近くに大きなポスターを貼りつける。下から見ると湾曲する。

『ターナー、光りに愛を求めて』、監督:マイク・リー、主演:ティモシー・スポール。
素晴らしい。美しい。凄い映画。

ティモシー・スポール、この作品で第67回カンヌ国際映画祭で主演男優賞を取った。今までのターナー像が打ち破られる迫真の演技である。ヘー、ターナーってこういう男だったんだって。
なお、ターナーは黄系統の色彩を好んでいる。このチラシのような。ついでながら、絵の具メーカーの「ターナー」もこの絵描きのターナーから名づけたんだろう。おそらく。

ティモシー・スポールが扮するターナー。
ターナー、どうも異形の男であったようだ。
ターナー、あちこちへの旅を繰りかえす。イギリスのみじゃなくイタリア、フランス、その他ヨーロッパ大陸の国々へ。夏はスケッチ旅行をして、冬にはアトリエで作品に仕上げる。

ターナー、こう言う。
「天候、湿度、風によって光が微妙に変わります」、と。
朝日、夕日、その場の空気、そこからの光。ターナー、それを19世紀初めに捉えた。
印象派の祖、クロード・モネが≪印象・日の出≫を描いたのは1872年である。その数十年前、すでにターナーは、光りの屈折、その様を描いていた。風景画家・ターナーという以上の凄い絵描きである。

同時代の絵描きとの軋轢もある。ロイヤル・アカデミーでのコンスタブルとの丁々発止も。

≪解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号≫。
どうも、その作品そのものではない。その作品を描くため、スケッチをする過程の模様。

ターナー、父親とは濃密な関係が続いた。父親が死ぬまで。しかし、母親との間はそうではなかった。このことがターナーの女性観に影響を落とした。
ターナー、さまざまな女性と関係を持っている。すべて夫を亡くした未亡人。しかし、その誰とも結婚はしなかった。子をなした女性もいたが。
ターナーが最後に拠りどころとした女性は、ターナーがスケッチに行く港町の小さな宿屋のおかみさん。初老の未亡人である。ターナー、幸せそうである。
それはそれとし、ターナー、ビッグアーティストである。



新しいパソコンに買い替えたのだが、不具合が続いている。
おそらく、私の操作に問題があるのであろうが、その”何がどうして”ということが分からないので歯がゆい。
昨日のブログも後ろ半分が出てこない。パリでのテロについて記した部分だが。
申しわけありませんが、昨日のブログのタイトル、「百日紅」というタイトルをクリックしてください。そうすると、昨日のブログの後ろ半分が出てきます。
パリのテロ後、フランスはISの首都・シリアのラッカを空爆した。
ISは、「さらにテロを続行する」、との声明を出した。
トルコ、アンタリアでのG20会場の片隅では、オバマとプーチンが膝突き合わせて話している。通訳だけを連れて。アサドの扱い、その意見相容れない。
その内にも、ヨーロッパ各国に散らばるテロリスト、どこでどうするか。
それに対し、あちこちトリコロールのパフォーマンンスでいいのか。よくは分からない。