靴職人と魔法のミシン。

冒頭、何人もの男が話し合っている。ヒゲを生やした男が多い。1903年のニューヨーク、ロワー・イーストサイドである。
男たちは、聴き慣れない言葉で喋る。硬い響きの言葉であるが、ドイツ語やロシア語ではない。英語の字幕が出ている。すぐに、ハハー、ヘブライ語なんだなということが分かる。
彼ら、「職人が仕事を追われている」、「家賃が2倍になった。職人狩りだ」、・・・、と話す。靴職人のピンカス・シムキンもその中にいる。マンハッタンの片隅に住みついたユダヤ人たち、厳しい生活を強いられていたんだ。

時は100年ばかり流れる。ロワー・イーストサイドの一画に「シムキン 靴修理店」がある。店主は、ピンカス・シムキンの4代目のマックス。
マックス、毎日毎日単調な日常を過ごしている。客から頼まれた靴を修理する毎日。40ぐらいになるのにまだ独身。もっと積極的になれよ、と後押ししたくなるような男である。
「シムキン 靴修理店」の隣りは、「ジミーの床屋」である。床屋の親父のジミー、何かとマックスの世話を焼く(後で分かるが、これ伏線)。
それにしてもロワー・イーストサイドの街並み、古臭い。少し大袈裟に言えば、20世紀初頭とさほど変わっていない、と言っていい。石畳であったものが、舗装された道となってはいるが。だから、趣きがある。ユダヤ人ばかりじゃなく、東ヨーロッパからの人たち、ヒスパニック、中国人、イタリー系もいるだろう。さまざまな人種が混ざり合っている。
マックス・シムキンのような、サエない男も多いのかもしれない。
古い石造りや煉瓦造りの建物も並ぶ。

『靴職人と魔法のミシン』、脚本・監督は、トム・マッカーシー。
主人公であるマックス・シムキンに扮するのは、アダム・サンドラー。ダスティン・ホフマンは、その親父だ。つまり、「シムキン 靴修理店」の3代目。
そうではあるが、この3代目、隣りの床屋のジミーに言わせると、「お前の親父はモノを捨てない人だったが、捨てたのは家族だけ」、という男。その息子の4代目、親父を見ていたから、堅物になったのかもしれないな。こういうこと、今でもよくあるよ。
なお、小さく見えているが、原題は『THE COBBLER』。この”Cobbler”という言葉、”靴直し”という意であるが、それと共に”不器用な職人”という意もある。「シムキン 靴修理店」の4代目を、よく表わしている。

ある時、いつも使っていたミシンが故障する。で、マックス、代々伝わっていた旧式のミシンで靴修理をする。
そして、仕上げた靴を何げなく履くと、ナントー、自分とは似つかない男に変身している。
魔法のミシンである。新しい自分に大変身できるんだ。
お伽噺の世界へと入っていく。

魔法のミシンで縫った靴を履けば、その靴の持ち主のどんな人にも変身できる。
世代も人種も関係なし。
とびきり美形のガールフレンドを持つ二枚目にも変身すれば、ヤバイ黒人のヤクザにも変身する。その時には、ホントにヤバかった。殺されかけた。
その窮地を救ったのは、どうも「シムキン・シュー・リペア」の隣りの床屋の親父であるジミーのようなんだ。そういう気がするのだが、違うかな。

右側のヤンキースのスタジャンを着ているジイさんが、隣りの床屋のジミー(スティーヴ・ブシェミ、味がある)。味があると言えば、ロワー・イーストサイドの再開発をするんだと言う地上げ屋のバアさんに扮したエレン・バーキンも。
それよりもダスティン・ホフマンはどうした、となろう。左は、アダム・サンドラーとダスティン・ホフマン。「シムキン・シュー・リペア」の4代目とその親父の3代目。
実は、隣りの床屋の親父のジミー、マックスの親父だったんだって明かされる。つまり、家族を捨てた3代目のダスティン・ホフマンと同一人物。
サエない男、4代目のマックスの人生にも変化がある。
美形とは言えないが、ロワー・イーストサイドの危機だ、と再開発の地上げに抵抗する活動家の女から、「今度食事でもどう」って誘われているんだ。
マンハッタンの下町のおとぎ話である。場面場面の後ろに流れる曲もいい。