悼む人。

近所の小さな学校へ通っている。散歩の延長のようなものであるが、9年もの年数にもなるので、その時々、クラス会をすることもある。
2、3年前のクラスメイトにNさんとYさんがいる。
日常は、ピアノと英語とテニスという優等生タイプのNさんが音頭をとり、いつもYさんと私にメールをくれる。Yさんの日常は、ゴルフ、卓球、釣り、ママチャリ、それにウォーキング、というアウトドア派である。今でも四六時中海外へ行っている。イチローがレギュラーで先発出場していた頃はアメリカへ応援に行っていたそうだ。先月末、バルト海クルーズから戻った、とのことでNさんからメールが来て、それを肴に今日会うことになった。3人が会うのは、今年二度目。
コペンハーゲン、ストックフォルム、タリン、サンクトペテルブルグ、ヘルシンキ、そしてコペンハーゲンへ戻るバルト海クルーズ、いずれの街も地味だった、とYさんは言う。バルト海は青くもなかった、とも。
ただ、船上パターゴルフ世界選手権ではイギリスの若手に優勝を持って行かれたが、卓球大会では外国選手を圧倒、優勝したそうだ。さすが日々トレーニングを怠らないYさんらしい。来週はまたタイへ、というYさんと優等生タイプのNさんと、「じゃあ、また」、と言って別れ帰ってきた。
新松戸の美味いのに安い、という台湾料理屋でのクラス会。紹興酒が効いた。



『悼む人』、天童荒太の直木賞受賞作の映像化。

脚本:大森寿美男、監督:堤幸彦。
主人公の悼む人・坂築静人に扮するのは、高良健吾。

坂築静人、不慮の死を遂げた人の現場に行っては悼んでいる。
地に跪き、上から下ろした右手と地表から引きあげた左手を胸の前で組んで。そうして死んだ人を悼む。
死んだ人の人生を悼み続ける。
儀式なのか。
そうではある。でも、そうとも言い切れない。「あなたは誰に愛され、愛したか、どんなことで人に感謝されていたか」、ということを記憶していくようでもある。誰しもの死を「愛」なるものを媒介に生に思いをはせているようでもある。「誰に愛され、誰を愛していたか」って。
胡散臭いって言えば、胡散臭い。
「エログロの蒔野」で「エグノ」と呼ばれている週刊紙記者の蒔野抗太郎もそう思い、静人の後を追う。

愛ゆえか否が、夫を殺めた妻、末期がんで命の極限と闘う坂築静人の母、子を妊娠したが、静人の行状が原因で婚約を破棄される静人の妹。
静人の「悼む」って行為、「誰かに愛され、愛した」ってことを記憶するってことでもある。「死」したものの「生」を思う。「生と死」の問題だ。

静人の母、死の直前、静人の妹である自らの娘の赤児を抱く。

『悼む人』、生と死の問題を問いかける。


ところで、この二日間、沖縄を考えていた。酒を飲みながらでも。
安倍晋三チルドレンのバカな連中が、「マスコミを懲らしめろ」、「経団連に働きかけ広告を絞れ」、なんてことを言い、挙句の果ては、よりバカなヤツが「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさなあかん」なんてことを言っている。
報道の自由はもとより、沖縄をバカにしている。
ふざけるな、との思いで充ちていたんだ、この二日。
仕事をしている頃、新聞社とのつき合いもあった。朝毎読、日経、産経の全国紙、道新(北海道新聞)、中日、信毎(信濃毎日)などのブロック紙、そして東京ではローカルペ−パーと言われるが、県紙であるそれぞれの地方紙。特に、各県を代表する県紙は、その県では大きな存在であった。
沖縄では、沖縄タイムスと琉球新報である。この沖縄の県紙2紙、互いに競い合いながら沖縄の立ち位置を発信し続けている。沖縄の文化を牽引する、沖縄独自の。
それをバカどもは、「絶対につぶさなあかん」などと言っている。
彼らは、「日本と沖縄の関係」も「日本の中の沖縄」も、まったく理解していない輩である。とんでもない、クソ野郎である。
現役時代、何人かの政治家に会ったことがある。ほとんどは自民党の政治家であった。高村正彦の同窓の人に誘われ、高村正彦のパーティーへ出たことも何度かある。「高村は、三木武夫の流れをくむ自民党ではリベラルな方ですからいいでしょう」、と言われて。多くの自民党の政治家がいた。そればかりじゃなく、自民党の彼らの多くは頭の良い人であった。
それがどうした。
「沖縄タイムスと琉球新報をつぶせ」という百田尚樹のバカ発言に拍手を送っている自民党の連中、「お前たち、本当に頭が悪いのか」、と訊きたい。すべてではないであろうが、ある程度の連中は、頭の切れる連中であるはずだから。
沖縄が、いかにヤマト・日本に傷めつけられてきたか、いかに日本の楯になってきたか、考え直せ。バカ者ども。
『悼む人』の天童荒太はこう語っている。
『悼む人』を書くきっかけは、9.11と10.7であったそうだ。
9.11は、2001年のニューヨーク、マンハッタンのWTCのツインタワーが攻撃された日。10.7は、その報復のアフガン攻撃が開始された日である。
いずれも、傷を受けた人間、やられた側の人たちに寄り添いたかった、と。
百田尚樹のようなどうでもいいヤツには何も言いたくはないが、せめて自民党の若い連中には「傷を受けた人間、やられた側の人たちのことに思いをいたせ」、と言いたい。
お前たち、能力があるはずだから。