沖縄を想う。

昨日は歌舞伎町のハシゴ酒。
酔いに酔い、フラフラへとへとで帰ってきた。当然のこと、日を跨ぎ。そもそも昨日の主目的は、ゴールデン街のバー「十月」へパー券を買いに行くことであった。で、十月所縁の連中が集まった。
しかし、安い居酒屋・清龍で下ごしらえをし、十月を出た後は高橋馴染みのバーで仕上げと相成った。普段飲み慣れない「竹鶴」のハイボールを何杯か飲んでしまった。高橋のおごり、美味かったが。
で、フーラフラ。
ボーとした頭で、何とかブログを記した。が、今日見たら誤字脱字多く、どこの先を曲ったのかも不明。まあ、そのままにしてある。
昨日・6月23日、歌舞伎町をハシゴしながらこんなことを言うのもナンなんだが、頭の片隅には沖縄のことがあった。
昨日は沖縄慰霊の日。
12時にNHKの沖縄からの映像を見ていた。その後、学校へ行き1時間半の授業を受け、新宿へ行った。で、5時過ぎの清龍から夜半近くまでのハシゴ酒ではあったのだが。

昨日正午のNHK。
摩文仁の平和の礎に彫られた兄の名をなでる老女の手。
礎に彫られている名は、24万余名。
安倍晋三も参加している。

70年前の沖縄、”あらゆる地獄が”と言われている。

日本は沖縄を本土の楯とした。
いや、捨て石とした。

今月初め大城将保からゆうメールが来た。
中を開けると、この本が入っていた。
『石になった少女 沖縄・戦場の子どもたちの物語』。大城には珍しい童話である。
大城将保については、今までにも何度か触れている。沖縄県立博物館の館長も務め、沖縄からさまざまな著作を発表している。
昨日、歌舞伎町をハシゴしていたのは、学生時代のヤワなサークルの仲間であるが、大城将保は、学部の硬い同級生である。本土復帰前の沖縄から、沖縄出身の法学者・大浜信泉が総長であった早稲田へ来ていた。
大城のこの著、70年前の沖縄戦の模様を、ユリという名の少女を通して伝えている。

オビを外すと、磯崎主佳が描くアカバナーが現われる。
アカバナー、南国の花、ハイビスカスである。

大城からの短い手書きの紙片が挟まっていた。

こういうものも。

高文研に義理があるワケじゃない。また、大城から頼まれたワケでもない。
でも、表4を包んでいるオビを複写する。勝手に。
大田昌秀、宮城喜久子、大城将保の沖縄戦に関する書である。70年前の日本が捨て石とした沖縄戦。
そもそも沖縄・琉球王国、400年前薩摩藩の侵攻を受けた。そして、明治5年(1872年)、琉球処分により日本へ併合された。琉球王国は消滅した。
ハッキリ言って、日本は、まがりなりにも独立国であった琉球王国を飲み込んだのだ。飲み込んだからには、責任を取らなきゃならないよ。
しかし、その後の日本、沖縄を捨て石にする。さらにその後は、在日米軍の7割を超える基地を沖縄に置くは、と沖縄をいいように扱っている。
琉球王国を併合した責任を果たさないばかりか、ヤマト・日本の調節弁としている。
いいかげんにしろ、と私は言いたい。
私は、米軍の日本駐留を是としている。東北アジアの情勢から見て必要である、と考えている。
しかし、沖縄にばかり負担を強いるのはいけない。
他人は笑うであろうが、私は、普天間の移設先は辺野古ではなく、東京か大阪に持ってくるべきだと思っている。
まがりなりにも独立国である琉球王国を併合したヤマト・日本、せめて、その程度の覚悟を示さねば。
なお、昨秋紹介したウェブ上での大城将保の「おきなわ百話」、現在半分の50話まで進んでいる。硬いものではあるが、沖縄からの情報、ご覧いただければ、と今一度。
一日遅れで、沖縄を想う。