百円の恋。

土俵の鬼・初代若乃花は、「土俵の中にはゼニが埋まっている」、と言った。
今、そのようなことを考えて角界に入門する日本人はいない。初代若乃花と同じようなハングリー精神を持って相撲の世界に身を投じよう、という若者はモンゴルや東欧の若者ばかりである。日本人力士、モンゴル人力士に勝てなくて当然である。ハングリーなんてことがないんだから。
しかし、ハングリー精神、ボクシングの世界では未だあるのじゃないか。角界では感じられないが、ボクシングの世界には感じることができる。ボクシング、昔も今もハングリー・スポーツなんだ。

『百円の恋』、監督:武正晴、脚本:足立紳。主演は、安藤サクラと新井浩文。
足立紳の脚本、新たな脚本家を見出すことを目的として制定された、第一回松田優作賞のグランプリ受賞作である。

都市部が主であるが、ボクシングジムってあちこちにある。その町の中心部をやや外れたところあたりに。
『百円の恋』の舞台もそのようなところ。東京の下町だ。総武線か常磐線か、あるいは京浜東北線か、いずれにしろそのような沿線の駅から少し歩いたあたり。

主人公である斎藤一子、32歳なんだが、実家の弁当屋でだらだらとした日々を送っている。そこへ妹が出戻ってくる。子供を連れて。妹との諍いの果て、一子は家を出る。
小さなアパートを借り、百均ショップで深夜のバイトを始める。
近辺に小さなボクシングジムがある。もう若くはない男が練習をしている。その男、時折り百均ショップへ来る。バナナを買いに。百均ショップでバナナを売っていることなど初めて知った。
それはともかく、一子、その男・狩野祐二に興味を持つ。

昨日の『そこのみにて光輝く』と同じく、この『百円の恋』も、日本の格差社会を追った物語である。
狩野祐二、最後の試合でも負ける。その後、斎藤一子がボクシングジムでトレーニングを始める。
女性ボクサーの物語、クリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』を思いだす。『ミリオンダラー・ベイビー』、ハングリーが根元にある物語であった。が、それと共に、”死”の問題があった。”尊厳ある死”の問題が。
その点では、この作品は異なる。
『百円の恋』、男と女の物語なんだ。社会の底辺を這いつくばっている男と女の。

小さな狭いアパートで身体を重ねる一子と祐二。
そういう頃もあったが、離れていく。そういうことなんだ。ボクシングがらみの話って。
ハッピーエンドにならないところが、ボクシングがらみのお話のキモなんだな。泣けてくるよ。

これ何ていうんだっけ。「\100ー」と書いてあるシールのようなもの。
「100円の恋」なんだ。

一子、リングに上がり闘う。が、敗れる。「呆れる程に、痛かった」、と。
この作品、一子に扮する安藤サクラの怪演が評判をとった。
安藤サクラ、『0.5ミリ』と合わせ、キネマ旬報はじめ数々の映画賞の主演女優賞をひとり占めにした。
『ミリオンダラー・ベイビー』のヒラリー・スワンクに匹敵する怪演。
安藤サクラ、恐るべし。