そこのみにて光輝く。

パチンコ屋で「火を貸してくれ」と言ってきた兄ちゃん・拓児に、達夫は使い捨てのライターをやる。
拓児は達夫を家に連れてくる。海沿いに取り残されたバラックに。自転車をこぎながら。
たった2間のバラック、奥の部屋には脳梗塞の父親がいる。疲れ果てた母親もいる。身体を売ってその生活を支える拓児の姉・千夏もいる。北の港町・函館の一画。
『そこのみにて光輝く』、「キネマ旬報 2月下旬号」で発表された「キネ旬2014年 第88回」の日本映画ぶっちぎり第1位の作品である。
重い。重たい。

『そこのみにて光輝く』、監督:呉美保、脚本;高田亮。その紡ぎ出した世界、凄まじい。
素手で砂利をかき分ける、泥の中を這う、そういう生活がある。

まばらに髭が生えた綾野剛が扮する達夫。

この世のおぞましいことなど、何でも引き受けるという池脇千鶴扮する千夏。

短い函館の夏の中で、あっちへこっちへ、と哀しい物語は続く。
所得格差が広がっている。1週間ほど前の朝日新聞には、こういう記事があった。
人口の上位10%の富裕層と下位10%の貧困層の格差は、日本は10.7倍、OECD加盟34か国中、格差の大きな国のトップ10に入るという。
厳しいよ、安倍晋三よ。

『そこのみにて光輝く』、原作は、芥川賞の候補に5度なるも、いずれも逃した佐藤泰志。この『そこのみにて光輝く』も、1989年三島由紀夫賞の候補となるも逸する。翌1990年、佐藤泰志、自らの生を断つ。
それにしても『そこのみにて光輝く』の”光輝く”、どういうことなんだろう。
朝焼けか夕焼けかは知らず、この黄色っぽいというかオレンジ色ぽいっというか、この色調の中で光輝いているのか。
哀しい物語ながら、一縷の望みはある、ということか。