妻への家路。
「不思議だなー」と思うことは、人それぞれ幾つもあろう。
多くの人たちと同じように、「地下鉄はどうして地下に入れるのか」、と思っていた「不思議だなー」は、昨年春、東博での古い仲間内での花見の後に氷解した。花見の後、居酒屋のエキスパート・石田宏に連れられていった東上野の居酒屋・「げんき」の横で。地下鉄、「げんき」の横の車庫から踏切りを通り地下へ走っていった。
しかし、”不思議だなー”って思っていることは、まだ幾つもある。
北京の天安門に掲げられている巨大な毛沢東の肖像画は、どうして外されないんだろう、どうしてそのままなんだろう、ということもそのひとつである。
この3年、海外へ行くことはなくなった。中国へはその何年も前から行かなくなった。チベット問題その他、中国の強権行動、覇権姿勢が目につき始めたからである。それまでは時折り行っており、天安門の毛沢東像もしばしば見上げていた。
しかし、それがだんだん不思議に感じるようになった。
社会主義、共産主義とは、名ばかり。市場主義経済の極み、超資本主義社会の中国で、何故、毛沢東の肖像画が天安門に掲げられているのか、と。
1976年、中国共産党を率いた毛沢東が死んだ。
その10年前、1966年から10年に及ぶ文化大革命も、その翌年、1977年に終結した。
時代は変わった。しかし、中国はその文化大革命の総括をつけてはいない。
つけられないんだ。天安門に今でも毛沢東の肖像画を掲げている、ということは。
社会主義、共産主義の建前と、超資本主義の現実との折りあい、その矛盾、解かっていながらどうしようもないものなんだろう、今の中国の政権中枢には。