暮れ逢い。

パトリス・ルコント、今、その名で客を呼べる映像作家のひとりである。
ルコント、味わい深い粋な映像を紡きだす。

『暮れ逢い』、100年少し前、1912年のドイツでのお話。
初老の実業家の屋敷に、秘書として才覚あふれる美しい青年がやってくる。この青年、ひとつ屋根の下で暮らすうちに実業家の若い妻と惹かれあう。必然であろう。
しかし、いかに惹かれあおうともこの2人、昨日の『紙の月』の2人のように、四六時中身体を重ねあうなんてことはしない。まったくしない。一度たりともしない。
互いに相手に惹かれつつも、互いに触れない。
20世紀初頭、という時代背景もあろう。ヨーロッパの上流階級の物語、ということもあろう。ともかく忍ぶ恋。ストイック。

和光裏のシネスイッチ銀座、いつも小さなウインドウに、精一杯の宣材をディスプレイしている。
紙で作った小さなピアノもある。スタンウェイのピアノを模しているんだ。

『暮れ逢い』を廻る幾つものキーワードがある。
原作は、シュテファン・ツヴァイク。次いで、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番ハ短調「悲愴」。ピアノは、スタンウェイ。オペラ「フィデリオ」。ゲランの香水「ルール・ブルー」。そして、第一次世界大戦。

ルコント、上手い。
1912年から2年後の第一次世界大戦。離れ離れになり、あまつさえ音信不通になっていた2人。さらにその後。

背中に手を回しているが、これが精一杯。これ以上には進まない。いかに欲望は高まろうとも。
いかに忍びに忍び、偲びに偲び、身を焦がしても。

ストイックな関係であればあるほど、かえってエロチックな感を受ける。
ルコントの力技か。


ネパールの大地震、発生以来72時間を越えた。死者の数も5000人を越えた。
私が知るカトマンドゥ近郷の古い町、パタンやバクタプル、ボダナート、パシュパティナートなどの状況も入りだした。酷い状況である。今現在把握できない地方のことなど考えると、万を超える死者が出ていることも考えられる。
日本の救援隊は、今日やっとカトマンドゥへ入った。その間3度引き返している。遅い。折衝力、説得力の問題があるな、と思っていた。
カトマンドゥの国際空港・トリブバン空港は、国際空港とはいえ小さな空港である。成田や羽田とはワケが違う。空港でなくとも着陸できる大型のヘリコプターを派遣すべきではなかろうか。水や食料、医薬品を積んだ。
ネパールという国、インドと中国に挟まれた国である。インドと中国に最大限の注意をはらっている。しかし、内心では、インドにも中国にも言いたいことはある。両国の言うことは聞いているが。
で、日本である。
日本に対するシンパシーは強い。インドや中国の圧力があまりにも強いから。
日本、もっともっと、ネパールを助けなきゃ。