奈良小散歩(5) ならまち(続き)。

奈良の町屋の特徴をよく表わしている建物がある。

藤岡家住宅。江戸時代後期の建物である。
<当初は生薬類、幕末頃からはろうそく、鬢付油、おはぐろ等の小間物類、昭和になって紙類と昭和30年代まで商いがおこなわれて・・・・・>、と説明板にある。

何とも味がある。
今、重文となっている。

その前に、「ならまち格子の家」があり、一般に公開している。
奈良の町屋、間口が狭く、奥行きが深い。

入ってすぐに”みせの間”がある。

ついで”中の間”。
2階へ上がる箱階段がある。

その奥に”奥の間”が続く。
いずれの部屋も小さい。6畳あったかな、という程度。

奥の間と離れの間に中庭がある。

離れへの渡り廊下に接して便所や風呂がある。

中の間の箱階段を上がり、2階へ。
吹き抜けとなっているところから下を見る。かまどにお釜がかけられている。

表通りに面しては、”むしこ窓”というこのような窓がある。
覗くと、すぐ前の藤岡家住宅が見える。

下へ降り、離れから表の方を見る。
中庭を通し、奥の間、中の間、みせの間があり、格子を通し外の明かりが見える。奈良の町屋、細長いんだ。

少し歩く。
と、こんな家があった。
ずいぶん年期の入った建物だ。外板がはがれ、壁土がむき出しになっている。植木鉢が並んでいるので、現役の家であろう。貼ってあるポスターは、共産党のものである。板がはがれ、壁土がむき出しになった家であるから共産党、ということではなかろうが。

ならまち、こういうオッシャレーって店も見かける。
しかーし・・・

やはりこういう店が主流。
「砂糖傳」、存在感がある。日本で最も古い砂糖屋だそうだ。

「あしびや本舗」。
奈良漬屋である。

佛壇・佛具、「藤野佛具点」。

「寧楽菓子司 中西与三郎」。和菓子屋だ。
いずれも味のある店ばかり。これで短いならまち散策を切りあげる。
近鉄奈良へ戻ってもまだ早い時間。
駅近くの和菓子屋へ入る。大きな店で奥の方が喫茶店となっている。この前はいつ食ったか思い出すこともできないぜんざいを頼んだ。美味かった。
近鉄特急、30分ちょっとで京都へ出、夕刻の新幹線で帰る。
ところで、この時季、大阪にしろ奈良にしろ宿をとるのが難しい。大阪で乗ったタクシーの運転手の話では、ホテルは増えている、という。それ以上に来る人が多いんだ。特に中国人。あちこちで中国語を聴く。私が泊まるようなごく普通のホテル、彼ら大勢さまに押さえられているようだ。
日韓関係がどうこうなんて言っているが、韓国人観光客も案外多い。彼ら、シカに抱きついたり、あっけらかんとしている。
欧米の連中だな、という人たちもいる。飲んで帰る途中、三条通りでイタリアのミラノから来たという若い男に行き会った。
2週間の日本旅行、と話す。東京で5日、高山で2日、奈良で2日、そして明日京都へ行き2日泊まり、東京へ戻り、ミラノへ帰る、と言う。飛騨高山が日本のカントリータウンとして知られているらしい。
「どこが面白かったか」、とその男に訊いた。
「東京だ」、という。「東京のどこが面白かったのか」、と訊くと「新宿だ」という応え。「秋葉原へも行ったが、何と言っても新宿が面白い」、と言う。「歌舞伎町か、ゴールデン街へも行ったのか」、と訊くと、「ゴールデン街の近くのカプセルホテルに泊まっていた」、と言う。恐らくこの若いイタリア男は、日本フリークとなってこれからも度々日本へ来るであろう。
日本へ来る人、ホントに多い。日本人は宿の確保もままならない。
中国主導のAIIBへの参加がどうこうなんて言っているが、日本は経済力競争なんて場からは降り、観光立国を目指せばいいんじゃないか、とホント思う。


5日前のブログ「昇天・大往生」に関し、今日従姉妹のJからメールがきた。
その一節、コピペする。
<ブログ読みました。プロテスタントでは「昇天」はキリストが天に昇ることで、一般ピープルの信者は「召天」を使います。
カソリックでは「帰天」を用いるようです。>、というもの。
キリスト教の唯一の神はイエス。イエスは死して昇天する。私の叔父にして親父であった男は一般ピープル、天に召される・召天であるようだ。