いのり 和紙を照らす縄文の光(続き)。

和紙の世界、1500年以上の歴史を持つ。縄文の光に至っては、3000年から1万数千年。その二つが相まみえる。
神も降臨するが、その空間、濃密な空気で満たされる。深山に分け入った趣き、このようなものであるのかもしれない。
呼吸を整えるため、少しの間、外へ出る。

本堂の小さな戸口、聖俗を分かつ結界である。
旧燈明寺本堂外廊下から見た現実世界。明るい。

正面を見ると、三重塔が目に入る。
やはり室町時代建立の京都・旧燈明寺の三重塔である。本堂よりも早く移築されたもの、という。

暫らく後、堂内へ戻る。
床に座る。
4時からのパフォーマンスを待つ。
と、嫋々とした謡の声が聴こえてくる。

気がつくと、いつの間にか左前方に白い衣装の人物が。

<「三つ重ね」(美術・映像・舞踏)>、とパンフにある。
<祈りとしての舞>、とも。

和紙を照らす縄文の光+舞踏、となる。

左奥から白い着物の男が現われ・・・

そのままスウーっと内陣へ消えていく。

白い衣装の舞踏家、縄文の光に照らされた和紙に溶けこみ、舞う。

舞う。

そして、祈る。

薄暗い内陣へ入っていく。

と、内陣に明かりが点いた。
背後に十一面観音が現われる。
仏の堂宇なんだな、と改めて思う。
神と仏、神仏習合。つい150年前、明治初めまでは、神仏習合という概念、日本文化の中核を成していたんだ、とやはり改めて考える。

白い衣装の舞踏家、じょじょに消えていく。

暫らくすると、赤い衣装の男が現われる。白い衣装時とは異なり、髪も結っている。

十一面観音の前、踊り手は巫覡(ふげき)、シャーマンとなる。
ましてや、舞踏の流れをくむ踊り手ならばなおのこと。

内陣で舞い、左後方へと静かに消え、「三つ重ね」は終わる。

パフォーマーとアーティストの4人、挨拶に出てくる。
不鮮明であるが、左から、謡:富岡千幸、舞踏:万城目純、美術:河瀬和世、そして顔のみしか写っていないが、映像:山内啓司の皆さま。

河瀬和世の「紙」、縄文の光を浴び「神」となっている。
河瀬さん、面白いことを言っていた。
「私、指紋がないの」、と。「紙を揉むからですか?」、と訊くと、「揉むばかりじゃなく、ずーっと紙に触れてきたので」、とのこと。何十年の間に擦り減った、ということのようだ。そして、「だから私、ドロボーに入っても大丈夫ですよ。指紋がないから捕まらない」、と言って笑う。

旧燈明寺本堂、小ぶりながらどっしりとしたお堂である。
河瀬さん、こうも言っていた。
「実は、8年前からこのお堂でのインスタレーションを考えていました。やっと実現できた」、と。
素晴らしい催しであった。

帰途、振りかえる。
梅の木の向こうに旧燈明寺本堂の屋根が。