いのり 和紙を照らす縄文の光。

一昨日の横浜本牧、三渓園の入口脇。このようなポスターが貼ってあった。

<いのり 和紙を照らす縄文の光 河瀬和世(造形)/ 山内啓司(映像)>。
ひと月ほど前、河瀬和世さんから案内をいただいた。こういう手紙が入っていた。
<寒さの中で木々が来るべき春の準備を始める頃となりました。・・・・・。横浜・三渓園で2日間ですが、インスタレーションをいたします。・・・・・。遠方ではございますが、散策におでかけくださいませ>。
三渓園、稀代の数奇者・原三渓が造った53、000坪の大庭園。20に近い古い建造物が移築されている。その半数以上は重文である。
「いのり」と題された河瀬和世と山内啓司によるインスタレーション、そのひとつである旧燈明寺本堂で催される。

旧燈明寺本堂が見えてくる。

旧燈明寺本堂、室町時代康生3年(1457年)に京都府相楽郡賀茂町に建てられた。永く廃寺となっていたものを移築したそうだ。もちろん重文。

<和紙を照らす縄文の光>、<いのり>。

本堂の外から中を見る。
暗い中、オッー。異次元の世界。

本堂内、大きな和紙が垂れさがる。

河瀬和世、<紙(カミ)=神(カミ)>と音義を同じくする和紙を究めている。その河瀬和世の和紙に山内啓司の映像が。
縄文の光。
神が宿っているか。

日本の神、もともとは山川草木、山や川や草や木、アニミシティックなものであった。アニミズムの中に宿る。
本来、形もなかった。
が、旧燈明寺本堂内、縄文の光を浴びて、和紙の表面には多くの神が現われる。

内陣脇の廊下にも、このような和紙が伸びる。

天井には、縄文の光。

廊下の突きあたりで和紙は立ちあがる。神々しい。
依り代だ。

和紙に写る縄文の光。右の方には、欄間の向こうにも光。

欄間を通し、内陣の天井に縄文の光が。

縄文の紋様は渦巻きである。
だから、縄文の光も渦巻き。

和紙、縄文の光を浴び、幾重にも重なる。
3種類の和紙が使われている、という。

と、河瀬さん、このような動きを始めた。
床にあった紙を放り投げる。

河瀬さん、「この紙、厚さ0.02ミリの楮紙です」、と言う。

古美術の修復に使われている紙だそうだ。

放り投げた紙が、すぐ側にいた小さな男の子の上に落ちてきた。
男の子、透けて見える。

神が宿る紙、幾重にも重なりあう。

河瀬さんと山宣。
私が河瀬さんを知ったのは昨年秋。銀座奥野ビルのアートスペース・RONDOで偶々行き会った。が、あちこちのグループへ入っている山宣、遥か以前から河瀬さんのことを知っていたそうだ。
河瀬さん、「これは雁皮紙」、と。水墨画を描く山宣、紙にも詳しい。私は、横でただ聴く。

和紙に写る縄文の光、渦巻いている。
神が宿っている。

暗闇の中、さまざまな神の姿が見てとれる。
まさに異空間。
得も言えぬ世界。

暗闇の中の異空間は神の領域、戸口の外の明るい世界は現世であろうか。
戸口に立つ人は、依り代を創り、神と交感する作家・河瀬和世。