ジュンク堂(続き×2)。

ジュンク堂、昨年末、丸善に吸収合併された。そして、その丸善は、以前から大日本印刷の完全子会社となっている。
日本を代表する印刷会社である大日本印刷、出版社や書店をその傘下に収めている、という構図である。
実は、久木亮一、学校を出た時、大日本印刷へ就職した。私の友達の中では、全国区の企業、上場企業へ入った数少ない男のひとりである。が、久木はその7、8年後、30ばかりで大日本を辞め、自らの小さな出版社を作る。
印刷業というもの、昔から受注産業である。クライアントである出版社などにはいつも頭を下げていた、と久木は話す。だから、特に営業の社員はよく辞めていった、と久木は言う。それだからこそ、印刷会社の経営陣もいつか顧客企業を傘下に収めてやろう、と思っていたに違いない、と久木は言う。
で、今、大日本が丸善やジュンク堂の親会社。
そうかもしれない。

夕刻、ジュンク堂を出た我ら4人、久木の案内で美久仁小路の居酒屋へ行った。久木とよく行く新宿の区役所通りの安い居酒屋と同じような店。
入った時には、先客は一組だけであったが、5時を過ぎるとドッと増えてきて、たちまちの内に満杯となった。

ンッ、またも碌に食っていない。いや幾らかは食べた。

池袋、美久仁小路、つきあたりの「ふくろ」で飲んでいた。ここらあたりの建物、モルタル2階建が多い。
入った時にはまだ明るかったが、出た時には暗闇の中。紅い灯がポツリポツリと点く。
美久仁小路、青江美奈の「池袋の夜」の2番に出てくる。<美久仁小路の灯かりのように 待ちますわ 待ちますわ ・・・・・>、の美久仁小路である。
まさに、である。

美久仁小路の文字は飛んじゃっているが、元気印の三人衆。
なお、後ろの明かりはサンシャイン60。
この日のジジババ、まだ帰らない。次はカラオケへ行った。
まずは、何はともあれ先般亡くなった高倉健を偲んで私が口火を切った。「網走番外地」。<春に春に追われし 花もある>。 
3人の選曲がもたもたしているので、もう一曲いった。北島三郎の「兄弟仁義」。
<親の血をひく兄弟よりも かたいちぎりの義兄弟 ・・・・・>。
と、山宣・山本宣史、「これは全学連の歌だよね」、と言った。そうだったかな、と思ったが、聞き流してしまった。
何年か前、犬飼三千子の展覧会を観た後、犬飼、久木と3人で新宿歌舞伎町のカラオケへ行ったことがある。3人が3人、へたくそであった。
しかし、今回は久木も犬飼も上達していた。彼ら、秘かに練習していたのかもしれない。それにもまして、山宣の歌声は抜け出ていた。

山宣、松山千春の「季節の中で」を歌う。
<めぐるめぐる季節の中で ・・・・・>、と。

久木、50年以上前から好きな西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」を歌った。
と、犬飼、「これ全共闘の歌よね」、と言った。そうだったかな、と思ったが、酔った頭ではそうともどうとも言い切れなかった。
酔いが醒めた後で考え、気がついた。「アカシアの雨がやむとき」は、全共闘ではなく全学蓮の歌である、ということに。むしろ、「兄弟仁義」の方は全学連ではなく、全共闘の歌であろう、と。

私は、2年近く前、突然の死を選んだ藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」で締めた。

池袋の駅の方へ戻る。
サル学の学者連中から始まり演歌の世界まで、池袋での時間、充実の一日であった。