ウフィツィ美術館展。

花形の売れっ子作家となった今では、おいそれと出かけることもできまいが、角田光代の趣味のひとつは旅だそうだ。
それまでは、バックパックを背にあちこちを歩いている。ほとんどはひとり旅。こういう人ってままいるよね。
角田光代、予定を決めずに旅に出ていた、という。名所旧跡などにはほとんど興味はない。目的など持たないで旅に出る。こういう人もままいる。
その角田光代、その著『いつも旅のなか』(角川文庫、平成20年刊)で、<イタリアにはずっと前からいきたかった。正確にいえば1997年からずっと、いきたかった>と記している。角田光代、この時は、目的を持っているんだ。フィレンツェのあるところへ行きたかった、というんだ。フィレンツェのあるところ、といえばウフィツィ美術館に決まっているよ、普通は。
しかし、そうじゃないんだ。6年後、角田光代が念願を果たしたのは、<・・・・・、かの有名なラ・スペーコラ博物館である>って記されている。”かの有名なラ・スペーコラ博物館”なんて聞いたこともない。解剖博物館だそうである。
それにしても、角田、変わっているよねー。
実は、私も昔からフィレンツェへ行きたかった。出てきた書への書きこみでは、1993年に行っている。角田光代のような才人でない私の主目的は、もちろんウフィツィ美術館であった。
しかし、何たること、私が訪れる暫らく前、フィレンツェで爆弾テロが起こった。死傷者も出たが、ウフィツィ美術館の一部も被害を受けた。爆弾を仕掛けたのは、イスラム過激派ではなくマフィアであった。いかにもイタリアらしい。
おかげで、私がフィレンツェへ訪れた時には、ウフィツィ美術館は閉鎖されていた。残念無念、ボッティチェリの≪春≫も≪ヴィーナスの誕生≫も観ることができなかった。ピッティ宮殿のパラティーナ美術館や幾つかの美術館は周ったが。
その後、ウフィツィへは行かなけりゃ、と思いながら、まだ果たせていない。

ふた月近く前の上野公園、ウフィツィ美術館展の看板がある。

メーンとなっている作品は、サンドロ・ボッティチェリ≪パラスとケンタウロス≫。
≪春≫や≪ヴィーナスの誕生≫を持ってくるワケにはいかないものね。
1480−85年頃。テンペラ、カンヴァス ウフィツィ美術館。

都美術館での2か月の会期、今日で終えた。

音声ガイド、タッチペン式のものが増えてきた。

サンドロ・ボッティチェリ≪聖母子と天使≫。1465年頃。
テンペラ、油彩、板、捨て子養育院美術館。

ボッティチェリ、≪聖母子と洗礼者聖ヨハネ≫。1505年頃。
油彩、カンヴァス、パラティーナ美術館。

ボッティチェリに帰属≪聖母子(海の聖母)≫。1475ー80年。
テンペラ、板、アカデミア美術館。

ボッティチェリ(18世紀の補筆あり)≪東方三博士の礼拝≫Ⅰ490−1505年。
テンペラ、板、ウフィツィ美術館。

もちろんボッティチェリ以外の作家の作品もある。
ジョルジョ・ヴァザーリ≪無原罪の御宿りの寓意≫。1542年もしくは1544年。
油彩、板、ウフィツィ美術館。
そうは言っても、やはり今一度、フィレンツェへ行かなきゃならないな。≪春≫と≪ヴィーナスの誕生≫を観に。
それはそうと、売れっ子作家となった角田光代は、酒は大量に飲んでいるようだが、旅へは出られない模様。まだ、40代なのにお気の毒。売れっ子になるのも、好し悪しだな。


昨今、各メディアの事前調査の確度は高い。
今日の衆院選、予測通りの結果となった。
日本国民、安倍晋三への全面預託、全権委任。