箱根美術館。

10月下旬、箱根湯本でクラス会を持った翌日、強羅の箱根美術館へ行った。
途中までは、大涌谷の方であとひと晩宴会をする、という連中と一緒であった。強羅からのケーブル、すぐに降り、彼らと別れた。
箱根美術館、ずいぶん久しぶりである。以前訪れた時に求めた図録が出てきた。平成3年、となっている。20年以上前。大ぶりのやきもの、特に焼締めの器が、という印象が残っている。

箱根美術館入口。

この季節、こういうもののようである。

萩の道を通り本館の方へ。

萩の道の途中に「萩の家」がある。外の木の葉が写りこんでいる。
「萩の家」、大正から昭和初めにかけての建物。創立者の岡田茂吉(右手写真の人物)が、揮毫の場として使っていた、という。

本館が見えてくる。
箱根美術館、小ぶりな美術館である。姉妹館である熱海のMOA美術館とは、較べる方が無理がある、というもの。しかし、小ぶりながら素晴らしい。
埴輪や縄文、弥生の土器も展示されている。しかし、ここで私が好きなのは、中世のやきもの。常滑、越前、信楽、丹波の大壷や大甕。撮影は許されてないが、圧倒的な存在感を持つ。

本館を出、苔庭へ出る。

紅葉には、まだ少し早いな、という時期であった。

訪れる人も少ない。
庭内、静かな風が流れている。

落ち着いた庭内を歩き・・・
茶室・真和亭でお菓子をいただき、お茶を一服する。

自然と人工の調和。

箱根美術館の苔庭、130種の苔があり、日本一だそうである。
それはともかく・・・

日常とは異なる異空間に身を置いた、という感あり。


その何日か後、考古学の専門家から手紙がきた。大隈講堂の前でのホームカミングデーの写真も同封されていたが、「お前さん、あの後箱根美術館へ行ったそうだが」、ということも。前後して、また別の郵送物が届いた。

これである。
昭和62年の箱根美術館の図録。「中世陶器シリーズ 信楽」。
この表紙の写真は、≪信楽 桧垣文壺≫、14世紀。趣き深い壺である。
礼状を出した。と、また手紙が来た。
考古学の専門家である彼が、クラス会の翌朝、6〜7名のクラスメイトを引き連れて行った「元箱根石仏群」の写真も同封されている。君のブログで「元箱根石仏群」のことも紹介しておいてくれ、との言葉もある。
で、送られてきた写真を2枚、ご紹介する。700年前、鎌倉後期の石仏群だそうだ。

「宝篋印塔」。
伝 多田満汁。多田満汁、平安期の武将。

磨崖地蔵菩薩群・≪二十五菩薩≫。
考古学の専門家、さまざまな地を歩くんだ。