博物館の新選組。

流山の博物館、味醂関係の醸造業、江戸川を利用した通運業といったものが中心である。しかし、新選組がらみのものは、もちろんある。

流山市立博物館2階、「新選組流山に入る」のコーナー。

その経緯は、昨日の本陣跡の記述と同じ。

中島登筆≪戦友絵姿「近藤勇」≫。
実は、展示コーナーの中で目を引く近藤勇と土方歳三の大きな写真もカメラに収めた。ブログに載せよう、と。しかし、博物館の人はこう言う。展示物全体の中に写っているのならいいが、近藤勇や土方歳三単独の写真は使ってはいけない、と。著作権の問題がある、と。解からないではない。単独写真はやめる。

中島登筆≪戦友絵姿「土方歳三」≫。
なお、この中島登という男は、新選組隊士。流山にも転陣し、慶応4年4月3日、土方歳三と共に会津から函館へと転戦していった男である。動乱の時代を生き延び、明治20年まで生きたそうだ。
それ故にか、局長の近藤や副長の土方のことを”戦友”と呼んでいる。

綴じられた書類が3点展示されている。

慶応4年4月3日の「日記」。

記されている内容は、このようなものらしい。
日記の主は、流山の住人のような気がするが。

「組合議定」。

このような内容。
村々の組合の申し合わせか。時局急を告げる中、村々の住民の気を引き締めているんだ。

「御地頭所諸用向控帳」。
”御地頭所”というのは、地頭の所。つまり管理役場の諸々の控え書きであろう。

左端の終りの数行は、このような内容。
この記述中の<陸軍奉行頭支配向歩兵方>とは、土方歳三が率いる新選組隊士のことを指しているようだ。上の中島登が描く土方歳三の絵姿を見ていただきたい。右肩に<元新選組副長 陸軍奉行 土方歳三>、と記されている。

「血に飢えて、今宵も虎徹が泣いている」じゃなかったかなー、近藤勇の台詞。フィクションだと分かっていてもカッコいい。
展示されているこの虎徹、博物館の人、「ああ、あれはコピーです」、と軽く言う。虎徹銘の刀自体、そのほとんどは偽物ではあるのだが。

時節柄か、博物館の2階への踊り場の上には、この凧が揚がっていた。
だんだら模様の羽織を着た新選組隊士、今まさに刀を抜きはなつ。”誠”の一文字を背負って。