ヨコトリ(5) 大谷芳久コレクション。

今日も”華氏451”がらみの問題である。
大日本帝国時代、なかんずく太平洋戦争中の文学者、特に詩歌の世界はどうであったか、ということ。

対中戦争から太平洋戦争へ至るまでの主に詩歌、17冊が展示されている。
大谷芳久コレクションである。

お読みいただけるであろう。
特に最後の3行、<戦争賛美の言葉に熱中した戦中の人々と、戦後それらを忘却した私たちの間には、大勢に与する移ろいやすさという点に於いて変わりがないという事実、・・・・・>、という言葉、考えさせられる。
まったくその通り。ど真ん中にズドーン、と的を射ている。

中勘助『詩集 百城を落とす』(昭和14年 岩波書店刊)。

同書中の「日本刀」は、こういう詩句。
フーン、そうか。

佐藤春夫『日本頌歌』(昭和17年 桜井書店刊)。

この書に所載の「靖国神社の頌」。
佐藤春夫が詠う靖国は、今の靖国とは異なる。

西條八十『銃後』(昭和18年 交蘭社刊)。
靖国がでてくる。
この頃の靖国、赤心の勇者の集うところであった。

野口米次郎『伝統について』(昭和18年 牧書房刊)。
左は、奈良、中宮寺の半跏思惟像。右の写真には、<飛行機、南方に神秘の門を開く>、とのキャプションがある。昭和18年、戦中の写真。

北原白秋『大東亜戦争 少国民詩集』(昭和18年 朝日新聞社刊)。
「アジヤの青雲」。
<アジヤ、アジヤ、アジヤの青雲、アジヤの海原、アジヤの大陸>。
八紘一宇の世界。

三好達治『寒柝』(昭和18年 創元社刊)。
<日本の子供 日本の子供 世界一重大な使命に向かって突進する日本の子供!>、との詩句。ウーン。

草野心平『大百道』(昭和19年 養徳社刊)。

同書中の「大東亜の新年を迎ふ」。
<紀元ニ千六百三年一月元旦 ・・・・・ このあした大東亜のいたるところに日章旗立つ ・・・・・>、との言葉。ああ。
これらの言葉、詩歌の文言として不思議ではなかったんだ。7〜80年前には。
今はどうか。流されているんじゃなかろうな。