ヨコトリ(3) 華氏451の芸術。

今回のヨコトリの心臓とも言えるものは、この部屋に詰まっている。

この広い部屋のあちこちに。

第3話。
<華氏451はいかに芸術にあらわれたか>って森村泰昌は言う。
SFってものが苦手である。さほど面白いと思わない。だから、レイ・ブラッドベリの高名な書『華氏451度』も、その名は知るが手にしたことはない。しかし、森村泰昌が「華氏451、華氏451」と言って今回のヨコトリのメイン・テーマとしているからには、また、それを面白いなー、と思っている以上読まざるを得なくなった。
宇野利泰訳のハヤカワ文庫で読んだ。本が禁じられた近未来のお話。ガイ・モンターグなる焚書官のお話。
本を焼き尽くすことに何の疑問を持たなかったモンターグが、疑問を持ち、隠し持った本を読み、上官を殺し、追われ、最後には不思議な本の記憶装置となった隠れ住む人たちの中へ入っていく。
レイ・ブラッドベリがこの書を書いたのは1953年。ブラッドベリ、コミュニストでもなんでもないが、あのマッカーシズムに抗って書いたもの、と言う。書を取りあげられた恐ろしさを、と。
森村泰昌、その”抗い”を”華氏451の芸術”と呼んでいるのだろう。
ついでに、1966年にフランソワ・トリュフォーが撮った『華氏451』も観た。DVDを借りて。
面白い。何よりファイアーマンたちが乗る消防車が美しい。この消防車、火を消すのではなく、本を燃やすための消防車である。
鮮やかな赤色、砲弾のようなそのフォルム、美しい。
個々のエピソードは、ブラッドベリの原作と異なるところもある。だが、その指し示すところは同じ。焚書の愚かさ。

多くの『華氏451』のペーパーバックが積まれている。よく見ると鏡文字。
この作品により近づく。

ドラ・ガルシア作≪華氏451度≫。本と机で構成。
<本は、ご自由にご覧いただけます>、との文言も。

こちらには、”Moe Nai Ko To Ba”って記されている。
”Moe Nai Ko To Ba”って、”燃えない言葉”なんだろう。焚書官に燃やされない言葉なんだ。

”Moe Nai Ko To Ba”、この階段を上がったところにある。
<お一人ずつ書見台に上がってご覧ください>、と説明書きに記されている。

私も書見台に上がり、本を見る。
こういうページがある。

文字で埋められたページも。

ヒョイと描かれたページも。

このようなページも。

さまざまな人が書見台に上がり、ページをめくる。
書見台の1冊だけの本、大きいんだ。さまざまなことが詰まっているんだから。
ンッ、この右側が気にかかる。