ホームカミングデー。

3日前の日曜日、私の出た学校のホームカミングデーであった。
8月初め、「校友の皆様をホームカミングデーにご招待します」、という案内が届いた。卒業後15年、25年、35年、45年、そして、50年という人たちが招待される。私は、卒後50年、最後のホームカミングデーである。卒後50年、皆70過ぎだもの。実は、私は、正確に言えば卒業までに休学もし、卒業まで8年在籍しているので、卒後50年ではない。が、早稲田、そのような細かいことは言わない。入学した年次で招待してくれる。
総長挨拶などのメイン・セレモニーは記念会堂で行なわれたが、私が着いた時には記念式典が終わった後。馬場下でバスを降りると、記念会堂から式典を終わった人の波が押し寄せていた。彼らに混じり、大隈講堂の方へ歩く。

大隈講堂が見えてくる。

大隈講堂正面の階段にはグリークラブのOB。「都の西北」が聴こえる。

正門からキャンパスへ。

さまざまなオフィシャルグッズがあるらしい。

左手に會津八一記念博物館が見えてくる。
企画展は、「早稲田のなかの韓国美術」を催している。これ、會津八一記念博物館については、改めて触れる。

10月13日から28日にかけ、「早稲田文化芸術週間」としているようだ。
シンポジウム、映画、写真展、身体表現、さまざまな催しが行なわれる。

後ろの方からマーチングバンドが来た。

追い越していった。
〈紺碧の空>などを奏しながら。

大隈さんが見えてくる。

10号館前、応援部の登場だ。
右端で声を張りあげている学生、群馬県立何々高校の出身で、政経学部3年の応援部リーダー、とアナウンスがあった。
やはり、血が騒ぐ。

高麗大学校友会のブース。早稲田と高麗大学、姉妹校だそうだ。
日本に住む高麗大学OBと話した。気持ちの大きな男であった。
そのすぐ側には、ソウル稻門会の幟。

その隣りにはブラジル稻門会。
早稲田の同窓生の組織である稻門会、あちこちにある。
若い学生たち、さまざまなパーカッションを打ちならし、サンバのリズムを刻んでいる。

と、二人のダンサーが現われた。腰と胸のみを覆ったサンバの踊り子。彼女たち、小柄ではあるが、なかなかの美形。早稲田で何を学んでいるのか、と考えた。国際関係論、なかんずく第三世界の問題を専攻しているのでは、と思った。

その隣りはパリ稻門会。

向うには北京稻門会。
北京大学の日本校友会の幟も。

こちらにはボストン稻門会、ニューヨーク稻門会の幟。
ジャカルタ、ベルリン、モスクワ、・・・・・、世界中あちこちに稻門会がある。

大槌町の刺し子プロジェクト。
岩手県へのエールである。

多くの屋台が出ている。
関西学生稻門会のブースではたこ焼きが、その隣りの信州学生稻門会ではおやきが売られていた。

北門の方へ折れる。

「生涯、早大生」の幟が目に入る。

清酒「都の西北」もある。
飲もうとしたが、すでに売り切れていた。
腹が減ったので、「つみっこ汁」というものを食った。つみっこ云々、だんご汁である。もう終りだからって、おだんごをいっぱい入れてくれた。

坪内逍遥記念の演博の方へ折れる。

企画展は、「寄らば斬るぞ!」
早稲田の演博に関しては、改めて記す。

この日、神宮からの報告として、早稲田が立教を破った、とのことがアナウンスされた。東京六大学野球のことである。右端の「掴め、早稲田の栄光」とリンクしたものであるが、私には、真ん中の柔道の早慶戦に惹かれる。早慶共、柔道でどうこうということは聞かないが、それはそれ、伝統の対戦なのであろう。
それにしても、掲示板の貼り紙、何と少ないことか。寂しい。
タテカン・立て看に至ってはまったくない。政治の時代は完全に去った。
今は、どのような時代なのか。


大隈さんの後姿を通して大隈講堂を見る。
大隈講堂の横からバスに乗り高田馬場へ。