映画と恋とウディ・アレン。

『映画と恋とウディ・アレン』、超秘密主義と言われるウディ・アレンに1年半密着したドキュメンタリー。
制作は2011年。日本公開は2012年末。見逃していた私が観たのは、この夏。

1935年、ニューヨーク・ブルックリンに生まれたウディ・アレン、16、7歳、まだハイスクールの頃からギャグライターとして稼いでいる。20代半ばからは、スタンダップコメディアンとして舞台に立つ。そして映画の道へ。

ウディ・アレンのドキュメンタリーを撮った監督は、ロバート・B・ウィード。
ウィード、何が最も難しいことであったか?と問われてこう答えている。「ウディ自身に、彼に関するドキュメンタリーを作ることを許可してもらうことだった」、と。
ウディ・アレン、こう言っていたそうだ。
「自分は、イングマール・ベルイマンやフェデリコ・フェリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ジャン・ルノワール、オーソン・ウェルズのような偉大な監督じゃない。その自分のドキュメンタリーを、いったい誰が金を払って観に来るか」、と。
そこを説得したウィード、その思いはグー。いいことをしてくれた。
ウディ・アレン、16歳の時に40ドルで買ったタイプライターを今でも使っている。「朝、起きてすぐ書ける」、と言いながら。マンハッタンの洒落たペントハウスで。

ウディ・アレン、脚本家、俳優、監督、40年に亘りその前線に立つ。
なお、左端は、ウディと別れた後も、ウディに対し同士的愛情を持ち続けるダイアン・キートン。

フィルム右端はスカーレット・ヨハンソン、その左はクラリネット奏者としても知られるウディ・アレン(今でも毎週1回、ニューヨークのクラブで演奏しているらしい)、その左はウディと話すこのドキュメンタリーの監督・ロバート・B・ウィード。その左はペネロペ・クルス、そして、ダイアン・キートンと、左端はマリエル・ヘミングウェーとではなかろうか。

これらウディ映画のミューズたちばかりでなく、30人以上の人たちがウディについて語る。
ウディと同じニューヨーカーであるマーティン・スコセッシは、こう語る。
「彼ほど粘り強く第一線に残り、人生観を発信し続ける監督は少ない」、と。マーティン・スコセッシ、その作風はウディ・アレンとはまったく異なるが、ウディへの思い強い。

ウディ・アレン、「こんなにも運が良かったのに、人生の落伍者の気分なのはなぜだろう」、なんてことを言う。
どういうことだい、ウディ。
そんなこと言っちゃって。