青もみじ巡り(28) 含翠の庭。
来迎院の荒神堂から石段を下り・・・
山門の前から緑濃いこちらの道へ。
右手の竹を組んだこの塀の向うに、含翠の庭がある。
来迎院、また、含翠の庭、忠臣蔵の大石内蔵助所縁の場でもある。
受付けには誰もいない。しかも、窓口も閉まっている。
ブザーを押してくれ、と記されている。ブザーを押し暫くすると、初老の婦人が現われた。
竹を組んだ出入口を押して入る。
庭内へ。
含翠の庭、さほど広い庭ではない。
何げない庭、と言ってもいい。
それだけに、どこか趣きがある。
庭に入ってすぐ左手の客殿の縁側には、新聞が貼られている。
そのひとつはこれ。
昭和50年6月2日付けの大阪新聞。庭の緑が映りこみ見づらいが、ヘッドラインに、こうある。
<復讐資金一万両・・・遊蕩ざんまい>、と。
主君の仇・吉良上野介の首を取るため、大石内蔵助がとった作戦のひとつは、敵を欺くことであった。祇園一力での、そのための遊蕩三昧。『仮名手本忠臣蔵』では、そうなっている。大石内蔵助、一万両を蕩尽したか。
もうひとつある。新聞名も日時も不明であるが。
庭の緑が映りこみ、これも見づらいが、<郷土史研究家・野村孫太郎氏に聞く「実録義士外伝」>、とある。
<進藤源四郎>、の文字もある。”進藤源四郎”、脱盟し、吉良邸襲撃に加わらなかった男である。ンッ、<第二陣に備え脱盟?>、との文字も。郷土史研究家の野村さんは、そう言っているんだな。実録は、こうである、と。
庭に戻る。
青もみじ。
青みどり。
庭内、このような細い道を歩む。
入ってすぐの客殿の方を振り返る。
歩く右手に心字池が。
含翠の庭、池泉回遊式庭園である。
その先に、小さな建物が見える。
茶室、含翠軒である。
元禄14年(1701年)、赤穂を退き浪人となった大石内蔵助、山科に浪宅を構える。で・・・
<名水(独鈷水)が湧き出ているのを知って、茶室含翠軒を建立し、茶を楽しむと共に仇討ちの策を練り、同士と密会したと云う>、と来迎院の栞にある。
大石内蔵助、なかなかの策士であることは確かであるが、粋な男でもある。
この障子を開けてくれ、と書いてある。
障子を開けると、このような説明書きが。
なるほど。
茶室、含翠軒の内部。
「含翠」の文字がある。
すぐに出入口となる。
そこから、含翠軒をふり返る。
小さな庭であるが、とてもシック。
このような一画も。
このようなところも。
このような眺めも。
緑でむせる中、含翠軒を出て戻る。右手に山門が見えてくる。
それにしても、誰もいない。私ひとり。
私がいた時間、含翠の庭には、誰ひとり入ってこなかった。