青もみじ巡り(19) 勝林院。

三千院を出、右の方へ歩を進める。小さな橋で律川も渡る。

この下り坂の先のお寺へ。

勝林院の本堂が見えてくる。

勝林院、こういうお寺である。
比叡山延暦寺のあちこちで度々出てきた、第三世天台座主・慈覚大師円仁の開創である。

勝林院の本堂。
さほど大きなものではない。しかし、ゆったりとした大らかなお堂ではないか。

大原の地、魚山と称せられる。
三千院の山号は、魚山である。勝林院の山号も、前掲の立札に記されているように魚山である。そもそも魚山とは何なのか。
魚山、中国での声明の発祥地だそうなのだ。それが日本へ伝わった。大原の地へ伝わったのだ。
勝林院、その根本道場であった、という。
ところで、上の画像の正面左の柱には、”大原問答”とも書かれている。
”大原問答”とは、どのようなことなのか。
やはり、前掲の立札をご覧いただきたいが、文冶2年(1186年)、浄土宗の開祖・法然を招き、”専修念仏”について、天台宗と浄土宗の間で問答(議論)をした、ということである。故に、”大原問答”の地。
勝林院、まさにその場であった。
それにしても、天台宗・比叡山延暦寺、日本仏教の母山と称しているだけあって、たしかに懐が深い。その越し方を眺めると。
なお、さしたることではないが、上の写真に写っているブロンドの女性、三千院の観音堂の前にいたヨーロッパ系の女性。
大原、外国人の女性にも折々に行きかう。

より本堂へ近づく。

本堂内。
本尊は、阿弥陀如来。

お堂に上がる。

こういう表示がある。

本堂正面の欄干には、鳥と植物の組合せの細工が。
これは、鶴と松。

これは、雉ともみじ。

本堂の外廊下をぐるっと回る。
廊下、庇、そして、石楠花と青もみじ。

年を経た外廊下のすぐ側には、青もみじ。

勝林院の外廊下、ぐるっと一周する。
その色調、何とも言えない趣きがある。
柱には、青もみじの色調が映りこんでもいる。

そのすぐ側には、青もみじ。

青もみじの中に入り、その彼方から勝林院の本堂を見る。
4月末の京都大原である。