青もみじ巡り(18) 三千院(続き×2)。

往生極楽院、その周りの有清園から、金色不動堂や観音堂の方へ戻る。

戻る途中、下りてくるお坊さん二人と行き会った。
先ほど、金色不動堂で護摩木を受け取っていたお坊さんであった。護摩供は終わったようだ。

護摩供が終わった金色不動堂の前には、多くの人が。

観音堂へ上る。
朱塗りの観音堂の前では、外国人の二人連れの女性が写真を撮りあっている。

観音堂の堂内。

「おん あろりきゃ そわか」。
観世音菩薩のご真言。サンスクリットそのまま。

観音堂の周り、幾つもの花が咲く。
桜花と石楠花。

桜花と青もみじ。

満開の枝垂れ桜。

艶やかな観音堂のすぐ近くに、このようなところがある。
”二十五菩薩 慈眼の庭”である。
さまざまな石が、菩薩を表わしているのであろう。
補陀落浄土を再現したか。

さらに進むと、鎌倉時代の石仏が眼に入る。阿弥陀如来像である。

そのすぐ近くには、青もみじの間に小さな川が見てとれる。
律川である。
三千院、呂川と律川、小さな二つの川に挟まれているんだ。
ところで、”呂川”と”律川”、何と読む。
”りょせん”、”りつせん”、と読むようだ。地元・京都の出版社である淡交社の書では、黛まどかも白幡洋三郎もそう記している。しかし、五木寛之著『百寺巡礼 第9巻 京都Ⅱ』の”三千院”には、五木寛之こう記している。”りょがわ”、”りつがわ”、と。
五木の書の発行元は、全国区の講談社。しかし、京都のことなら淡交社に敵うまい。
さしたることではないかもしれない。しかし、「でも」、とも言えるのではなかろうか。

山吹も咲いている。

桜花と石楠花も。

戻る道すがら、このようなものがあった。
一輪の落ち椿、岩の上に載せられている。明らかに、人為的な所業であろう。何方の所業かは知らず、その上に乗ることにし、デジカメを向けた。

出口に近く、二人の大原女がいた。
しかし、後ろの大原女はデジカメを手にしている。彼女たち、コスプレのようだ。この後、昼飯を食べに入った食堂でも見かけたし。

ここから外へ出る。
苔にしろ、石楠花にしろ、杉木立にしろ、それぞれに備わった色を持つが、その全て、青もみじの色調に同調している。