青もみじ巡り(17) 三千院(続き)。

三千院、客殿から宸殿へ移る。

宸殿から前を見る。
美しい。

宸殿から眺めるその先には、往生極楽院がある。

青もみじの彼方に往生極楽院が見えてくる。
左手に立札がある。

このようなもの。
このあたり、往生極楽院の周り、有清園庭園なんだ。
しかし、時間は11時を少し回っている。往生極楽院は後廻しとし、秘仏金色不動尊像の御開扉があり、百味供養護摩供法要が行なわれている金色不動堂へ急ぐ。

このような立札がある。

金色不動堂。
お堂の前に張られたテントの下には、輪袈裟を首にかけた2〜30人の人が座っている。

輪袈裟をかけた皆さん、左手に鈴を持ち、御詠歌を歌っている。
私は、お堂の中へ入った。
秘仏の金色不動尊の前では、護摩が焚かれている。
護摩木を持った人が次々と入ってくる。護摩木を僧に渡す。その護摩木が焚かれる。炎が高くあがる。何人もの僧が唱えるお経が流れる。護摩木を持った人が次々に入ってきて、その護摩木が次々に焚かれる。
護摩木を持って入ってきて、その護摩木を僧へ渡し、それが焚かれるのを拝む人たち、輪袈裟をかけているばかりでなく、皆さん改まった服装をしている。
その内、こう思った。
これらの人たち、講の人たちではないかな、と。”不動講”とでもいったような。講の皆さんのハレ舞台なんじゃないか、と。

金色不動堂を出た後、草餅ぜんざいのお接待を受けた。
美味かった。

その後は、ここへ。

金箔入りの桜茶も美味しかった。

草餅ぜんざいや金箔入り桜茶の接待を受けた後、先ほどスルーした往生極楽院の方へ戻る。
このような道を。

間もなく往生極楽院が見えてくる。
ここいらも、有清園であろう。

青もみじの中の往生極楽院。

左手には、朱雀門が見える。

往生極楽院、小さなお堂である。
さまざまな人が、このお堂について記しているが、やはり三千院、幽かな色香を漂わせる女性の記述を引くことにしよう。
『古寺巡礼 京都4 三千院』(平成18年 淡交社刊)の黛まどかの巻頭エッセイから。
<往生極楽院は入母屋造り杮葺きで、間口三間、奥行四間の小さな阿弥陀堂である。・・・・・。井上靖が「東洋の宝石箱」と讃した往生極楽院は、四方の若葉を映して、さみどり色の障子明かりを堂内に満たし、金色の菩薩の衣をほんのりと染めていた>、との。

堂内には、金色の阿弥陀三尊。
中央の阿弥陀如来像の両脇には、観音菩薩と勢至菩薩の坐像。共に、「倭(やまと)座り」と称されるいわば正座。とても珍しい。

石楠花と青もみじ。
<「京の庭園、奈良の仏像」という言い方がある。・・・・・。庭園を見るなら京都、仏像を見るなら奈良がいいというくらいの意味になろうか>。
白幡洋三郎著『庭を読み解く』(平成24年 淡交社刊)の巻頭、”序論「京の庭論」”の冒頭、白幡洋三郎、こう記す。

木々の向うには往生極楽院。味がある。
<たしかに奈良の法隆寺や東大寺・薬師寺に仏像を見に行く人はあっても、庭園を見に行くという人はまずないだろう>、と白幡洋三郎。

<寺院に限らずそもそも京都に庭園が盛んにつくられたのはなぜか。水に恵まれない奈良に比べ、山に囲まれ水が豊かな山紫水明の地であり、・・・・・>、と白幡洋三郎。

往生極楽院の周り、有清園。
でも、白幡洋三郎はこう言っている。
<三千院の境内はすべて庭園である>、と。たしかに、そうである。
ところでこの画像、右上の方にお地蔵さまが見える。よく見ていただくと分かる。
密やかな”わらべ地蔵”である。