有司男+乃り子 : 篠原展(続き)。

東京画廊+BTAPのこちらの壁面。

≪コカコーラをデリバリーするカエル≫と≪ジャンヌ・ダルク≫の間に、大きな平面作品がある。

≪バーミューダ・ファンタジー≫。

キャンバスにアクリル。天地244.4×左右367.5センチ。1995年の作。

デカイ作品、ギューチャンらしい作品だ。
6〜7年前、豊田市美術館でのギューチャン展には、この10倍ぐらい大きな作品が展示されていた。が、一般の画廊では、天地2メートルを超え、左右4メートル近い作品は、デカイ。存在感、弥増す。
小さく見えている正面の2点は・・・

これ。

左は、≪ウツボ君、こんにちは≫。

右は、≪カエルのお化けが出たー≫。

これが面白い。
キューティー・篠原乃り子の4枚組みの水彩画。

タイトルは、≪その翌朝≫でも≪一夜明けて≫でもいい。
ギューチャンと乃り子が初めて会ったのは、1973年だそうだ。ニューヨークに絵の勉強に出てきた乃り子、まだ20歳になるやならずの小娘であった。ギューチャンとの年の差は20も離れている。
ギューチャン、この小娘を籠絡するんだ。このように。

「ソーホーのバーでアートについて語ろうよ。幾らかお金ある?」ってギューチャン。「いいわねー。それぐらいのお金は持ってるワ」、とキューティー・乃り子。「ボクの腕につかまりな」ってギューチャンは言う。
「見ろよ、キューティー、なんて美しいんだ。このマルガリータは夕焼けの光のようだよ」、ギューチャン、キザなことを言う。しかし、若い女の子は無防備だ。「アー、この人は詩人だなー」、と思ってしまう。

「キューティー、キミはブロードウェーをいっぱいにするぐらいに多く描くべきだよ。若さで描くんだ」、とギューチャン。
「オー、ブリー(ギューチャン)、そんなことワタシにできると思う?」ってキューティー・乃り子。
「もちろんさ。できるよ。キミは才能があるんだから」、とギューチャン。ギューチャン、なかなか上手いんだ。若い女の子のあしらいが。

「キューティー、ずいぶん遅くなってしまったよ。キミのアパートまで帰るのは危ないよ。ボクん所へおいでよ」。「好きなんだ」。
「オー、なんてヒドイ部屋。なんて汚いマットレス」。
しかし、「アートやラブの前では、そんなことはどうって・・・」ってこととなる。
ギューチャンは、「オレのベッドから出ていきやがれ、汚いネコめ」、とネコを蹴っ飛ばす。「これ、オレのベッドだよ」、とネコ。

そして、一夜明けた翌朝・・・
「キューティー、キミはギリシャ彫刻の女神のようだよ」、とギューチャン。
その後ろでは、ベッドを取られたネコがこう言っている。「彼女はすぐに後悔すると思うよ」、と。
ギューチャン、キューティーにこういうことも言うんだ。
「その内には金が入ってくるが、今日、家賃を払わなきゃならないんだ」、と。
ギューチャン、若いキューティーの身体ばかりじゃなく、日本から仕送りを受けているキューティーの貯金通帳も狙っていた模様。
ワルだなー、ギューチャン。ギューチャン、それは、ワルだよ。

それからは、こういう日常である。苦労している。
左上から時計回りで・・・
「私はいつも裸なの。お金がないから着るものなんて買えないんだ」。ブリー(ギューチャン)は、そんなことなどどこ吹く風。「芸術こそがすべて」なんて言っている。
キューティーは、ささやかなへそくりをした。古いコートを着て、好きなデパートの99セント均一の所へ行った。日本で言えば100円均一である。ドレス、ドレスって言いながら。
「このドレス、似合う?」って99セントドレスのキューティー・乃り子。
「ナンてチャーミングなんだ。みんなに見せびらかしたいよ」、とギューチャン。
チャグチャグ、ポッポッ。アー、コリャコリャ。

≪私はドレスを手に入れた≫、というお話である。
水彩画。

ドラクロワが描いた自由の女神は、民衆を導いた。
今年、キューティー・乃り子が描いた自由の女神は・・・

ブリー(ギューチャン)を導いている。

女性は、したたかである。
初心な小娘も40年経てば・・・
それは、言わずもがな、かな。