大島渚の怒声。

大島渚が死んで1年となる。大島渚、直球勝負の人生を駆け抜けた。
昨夜、日本テレビから大島渚のドキュメンタリーが流された。1963年の作。半世紀前、大島31歳の時の怒りの声。

反骨、反逆、大島渚の代名詞。
”大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃”。この日テレによる”・・・・・という衝撃”というコピー、大島のこのドキュメンタリーをよく表わしている。

朝鮮半島出身の旧日本軍兵士を追っている。
日本軍に従軍し戦傷を負いながら、戦後、韓国籍となり保障制度の助けがない元兵士である。両眼を失明、片腕も失った元皇軍兵士。

この作品、第1回ギャラクシー賞に輝いた。
「これでいいのか」、大島の怒りを含んだ声が飛んでくる。

1963年である。東京オリンピックの前年である。日本中が沸き立っていた。日本人の頭の中には、戦争のことなど忘れ去られていた。
そういう年の国会議事堂前である。
半世紀後の今、より心に迫る。

朝鮮半島の若い男も、日本の皇軍兵士として戦った。
多くの若者が死し、多くの若者が傷ついた。しかし、戦後、国家は彼らに冷たかった。日本人ではなくなった、という理由らしい。
大島渚、「それでいいのか」、という声をあげているんだ。映像で。










1963年、日本敗戦から18年後である。
日本人の感覚からすれば、戦後は終わった時代であった。しかし、まだ戦後を引きずっていた時代でもあった、ということであろう。
それどころじゃない。
戦後70年近く経った今、韓国、中国との関係、ピリピリしたものがある。双方とも、ナショナリスティックになっている。
しかし、こういうことだけは言える。
”日本は、韓国を併合し、中国を侵略したことだけは確かな事実”、ということは心すべきであるということ。



大島渚、こう記した後、こう語る。
「日本人よ、私たちはこれでいいのだろうか」、と。
大島の声だ。
いいわきゃない、よ。


ACミランの本田圭佑、昨夜デビューした。
左足を振り抜いたシュート、ゴールポストを直撃した。ミラノっ子への名刺代わりの挨拶だが、惜しかった。
反タクシン派による今日のバンコク首都封鎖、着々と進んでいる。
年の三分の一ばかりはチェンマイに滞在している古い仲間のS.T.、根っからの反タクシン・黄シャツ派。今ごろはバンコクの路上へ駈けつけていることだろう。