高野・熊野・伊勢巡り(26) まぐろ定食。

那智の滝からバスに乗り、紀伊勝浦へ。
さほど遅い時間ではないが、晩秋である。勝浦駅前へ着いた時には、日はとっぷりと暮れていた。6時すぎの勝浦駅前、暗い。ほとんどの商店、すでに店を閉めている。
ホテルへ電話し、在り処を訊く。駅前から歩いて1〜2分、とのこと。さすがホテルは明かりが点いていた。
7時前、夕飯を食いに外へ出る。ホテルで貰った”勝浦 お食事・ショッピング地図”の”イの一番”に出ている”郷土料理 竹原”へ。
ホテルから1〜2分の竹原、私が入った時には先客が一人いた。しかし、その人はすぐに出て行った。その後、客は誰も入ってこなかった。客は私一人であった。

竹原の店内、色紙や写真がビッシリと貼られている。

このようなところも。
アニマル浜口と京子親子とか、ベッキーとか、若い頃の内田裕也とか、落合博満とカミさんとか、山本晋也とか、塩田丸男とか、という皆さま。ともかく、いろいろな人がこの店に来ている。
病に倒れる前の長嶋茂雄の色紙もあった。”洗心”と記されていた。

カウンターの側にこれがあった。
「これは山本寛斎ですね」、と訊くと、「そうです。オリンピックが決まったので、山本寛斎の演出を何か一つ、と思っているのですが」、とオヤジさんは言う。
その横には、椎名誠の何かがある。

椎名誠推薦、という雑誌記事である。
<取材で和歌山へ来た時、知った。・・・・・稀少まぐろの刺身さえこんなに分厚い。ぶつ切りのまぐろの刺身を、・・・・・その厚さがハンパじゃない。気前のいい店は他にもあるんだけど、御託を並べる所も多いんだ。でも、ここの主人は何にも言わずに当たり前のように出してきたね。・・・・・全国の港町を歩いたけど、ここんはインパクトが強かった。何しろ、2日続けて足を運んだくらいだから。・・・・・(談)>、と記されている。
竹原のオヤジさん、こう言う。
「実は私は、椎名誠さんという人を知らなかったんです。2日も続けて来てくれて、写真を撮っていたな、と思ってました。その後、雑誌社の方から雑誌を送ってもらって、あちこち旅行をしている作家であることを知ったのです」、と。
椎名誠、記事の終りの方で、「もう一度食べたいです」、と話している。
竹原のまぐろの刺身、たしかに、それほどのものである。

私がこの店に入りメニューを見ようかな、と思った時、竹原のオヤジさん、こう言った。
「食事をされるのなら、まぐろ定食がお薦めです」、と。
「じゃ、それをください。御銚子一本をつけて」、と応えた。
出てきたのが、これ。
2〜3切れ食った後であるが、赤身とトロ、6〜7切れが出てきたという印象がある。椎名誠が記しているように、竹原のまぐろの刺身、ともかく分厚い。何より、とても美味い。
実は、その前日も新宮のホテルの食堂でまぐろの刺身は食っている。しかし、そのまぐろの刺身、新宿の居酒屋のまぐろの刺身と同じようなものであった。
また、その何日か前、母の法事の後の会食を大阪の御堂筋に沿った高級ホテルに入っている日本料理屋で催した折り、懐石料理の御造りとして、まぐろの刺身も出ているはずである。しかし、その模様、記憶にはない。
竹原のまぐろの刺身、かってなく美味い、まぐろの刺身であった。
なお、横の皿は、まぐろの炙り。まぐろのたたきである。炙ったまぐろより、まぐろの刺身、はるかに美味かった。

店内、原田芳雄の写真が幾つもある。
原田芳雄、今年死んじゃったが、毎年、那智の火祭りの時には、来てくれた、と竹原のオヤジさんは話す。

店には、私とオヤジさんの二人しかいない。
オヤジさん、このようなものを持ちだした。
「世界遊」となっている。台湾の雑誌だと言う。台湾の「るるぶ」のようなムックである。その中に、竹原が紹介されている。
オヤジさん、「小さいが美味しいですよ」、と言ってミカンをくれた。後で食ったが、美味かった。

私の後、一人の客も来なかった。
8時前、私も帰る。
竹原、カンバンとなる。オヤジさん、暖簾をたたんだ。