高野・熊野・伊勢巡り(16) 佐藤春夫記念館。

速玉大社のすぐ裏に、新宮市立佐藤春夫記念館がある。


佐藤春夫記念館入口。

記念館の建物。
設計は、やはり新宮が生んだ傑物のひとり・西村伊作(文化学院の創設者)の弟である大石七分。

文京区関口町の佐藤春夫の家を、そのまま移築したそうだ。
移植したものかどうか、庭内にはマロニエの木もあった。

記念館に入り、すぐ右に折れたところ。
と、何やら、ややくぐもった低い声が聞こえてくる。お経かな、と一瞬思うが、すぐに佐藤春夫の声だな、ということを感じる。
『秋刀魚の歌』である。
     あはれ
     秋風よ
     情あらば伝へてよ
     ・・・男ありて
     今日の夕餉に ひとり
     さんまを食ひて
     思ひにふける と。     

見ると、目の前には、こんがりとほどよく焼けた”さんま”がある。
     さんま、さんま
     そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせ
     さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
     そのならひをあやしみ・・・・・
     ・・・・・・・・・・
     ・・・・・・・・・・
佐藤春夫、数多くの恋愛詩を詠んでいるが、その極北の一篇であろう。
何より、”さんま”を扱った創作物としては、落語『目黒のさんま』と並ぶ二大作品に違いない、と私は考えている。

1階には、復元された客間がある。
その左側。

客間の右側は、このようである。
「佐藤邸の応接間は、中国風のロビーという感じである。マントルピースの前に畳が三畳、・・・・・、訪客は、たいていここに招じられて、・・・・・。先生の場所は、窓を背にした片すみにきめられている。・・・・・」。
門弟のひとり、柴田練三郎は、こう記している。
なお、右に見えるブロンズは、高田博厚の手になるもの。

佐藤春夫と言えば、”門弟三千人”だな。柴練ばかりじゃなく、多くの著名作家を輩出している。
佐藤春夫、昭和35年、文化勲章を受章、新宮市初の名誉市民でもある。

詩、小説、批評、エッセイ、多様、多彩な作品を生み出した。

絵もよくした。
大正初めの頃には、何年にも亘り二科へ出品している。

遺愛の品。

印章。

狭い書斎が好きだった、という。

そう言えば、佐藤春夫記念館、つまり佐藤春夫の家、狭いって感じのところがずいぶんあった。
これは、2階から階下を見たものであるが、正面の階段など、降りるのが恐かった。
佐藤春夫のことごと、これで終わるはずはない。
明日、続ける。