高野・熊野・伊勢巡り(7) 壇上伽藍。

高野山、標高1000メートル足らずの山上の平地、さほど広くはない。
霊宝館を出、ほんの数分で壇上伽藍への道となる。壇上伽藍の東寄りに出る道である。

蓮池の横の道、少し上ると正面に大会堂(だいえどう)が見えてくる。

壇上伽藍、このような堂塔で構成されている。
<お大師さまは、高野山の造営にあたり壇上伽藍からお始めになり、密教思想に基づく金堂、大塔、西塔、僧坊等の建立に心血を注がれました>、と大伽藍のパンフレットにはある。
また、<伽藍とは梵語(サンスクリット)のサンガ・アーラーマの音訳で、本来僧侶が集い修業をする閑静清浄な所という意味です>、ともある。

左側には、木立の向うに朱色に輝く根本大塔が見える。その左手には不動堂。右手の小さなお堂は愛染堂。

少し近づくと、こう。
いいね。 とても、いい。 美しい。

不動堂。国宝である。
<1198年一心谷に行勝上人が創建。現在の堂は14世紀初頭再建、鎌倉時代の和様建築で、平安期住宅様式を仏堂建築に応用したもの>、とパンフに記されている。
それはそれとし、これも、とても美しい。

大会堂。
<創建は1175年皇女五辻斎院頌子が父の鳥羽上皇追善のため創建。現存は1848年のもの>、とパンフにある。

大会堂の東側、三昧堂と東塔が見える。

小ぶりな三昧堂。
<928年、金剛峯寺座主済高大僧都の創建。現在の建物は1816年再建>、とパンフに。

三昧堂の前にはこの木がある。
西行櫻である。

その来歴は、こう。

西行櫻の向うに東塔を見る。

逆方向をふり返る。
西行櫻の後ろには大会堂。その後ろに愛染堂。さらにその後ろには根本大塔の朱色が見える。

その近くにこのような立札がある。
「高野山の草創」。

手前から、東塔、三昧堂、大会堂、愛染堂、そして根本大塔。

右は根本大塔、左は金堂。

このような歌碑がある。
与謝野鉄幹と晶子の自筆歌碑。

お二方の歌は、それぞれこれ。

左は不動堂、右の朱は根本大塔、その間には金堂が見える。

大会堂(右)と根本大塔(左)に挟まれた小ぶりな愛染堂。愛らしい。

高野山一山の総本堂である金堂。
<本尊と両部曼荼羅を修法する3壇をもつ密教の大堂である>、とパンフにある。また、<両部曼荼羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」である>、とも。
この「血曼荼羅」、一昨年、東博で観た。2年前、高野山の至宝が東博へ出開帳していた折り。趣き深いものであった。

壇上伽藍の中心・根本大塔。
続きは明日とする。