高野・熊野・伊勢巡り(5) 金剛峯寺。

奥の院前のバス停へ戻り、バスの時間を確かめ、少し早目の昼食をとる。バスの便は少ない。時折り、強い雨。
永坂嘉光・山陰加春夫・中上紀共著『巡礼高野山』(2008年、新潮社刊)から、少し引く。
<高野山の歴史は、弘仁7年(816)に、弘法大師空海(774−835)が、現在の壇上伽藍の地に金剛峯寺を建立した時から始まる。12世紀前半に成立した『今昔物語集』の巻十一には、・・・・・、次のような説話が載せられている。弘仁7年6月のこと、弘法大師は、自身が唐から投げた三鈷の落下地を尋ねて、大和国宇智群を歩いていた。むこうから一人の猟師がやってきた。・・・・・。さて翌日のこと、山人は大師をその場所まで・・・・・>、と続く。
ずいぶん端折ったが、要するに、その山人、猟師が連れて行ってくれた場所が、現在の高野山の地、ということであるそうだ。
また、<金剛峯寺とは、元来、高野山全山をさす呼び名であったが、明治以後、山内全寺院の総本山である本坊を意味するようになった。それ以前は、青巌寺と称し、豊臣秀吉が母公の菩提寺として建立した寺である。現在の・・・・・>、と前掲書にはある。
金剛峯寺前でバスを降りる。

高野山金剛峯寺、2年後の平成27年、開創1200年を迎える。

階段を上る。

表門を通し、雨を通し、金剛峯寺の主殿が見える。

雨の中、左は鐘楼、右は表門。

右は主殿、左に鐘楼と表門。

拝殿入口。

主殿の中は多くの部屋が続く。しかし、その内部は撮影禁止。廊下の外のみ撮影が許されている。

廊下の外の岩々、雨に濡れ、光っている。

廊下は長く続く。

降りやまぬ雨。
木の根の間にたまった雨水、波打ち、揺れている。

松の木肌も、濡れて光る。

広い新別殿では、お茶の接待がある。

このような。

そこでは、弘法大師の画像の前で、この夫婦者らしい二人連れが祈りをささげていた。二人とも、背中に「南無大師遍照金剛」と墨書された白衣をつけている。
「南無大師遍照金剛」、よく目にする言葉である。
何となく分かったような気がしている言葉である。が、コンパクトなムック、『古寺巡礼13 高野山』(平成23年、JTBパブリッシング刊)によれば、こういうことだそうである。
<これは、空海の別名、遍照金剛を讃える言葉、南無とはサンスクリット語で「心から信じる」や「感謝」を表すナモーやナマスという言葉の音訳で、仏教では「帰依」を表します。遍照金剛と呼ばれる大師に感謝し心から信じますということなのです>、と記される。
なるほど。

我が国最大の石庭・蟠龍庭。雲海に浮かぶ、雌雄一対の龍を表しているそうである。
龍は、四国産の青い花崗岩を140個。雲海は、京都の白い砂が使われている、という。

石庭、こちらにも続く。

ここは、こう。
静謐。

こういう場も。

主殿の方へ戻ってくると、何と、高野山のマスコットキャラクター・こうやくんの着ぐるみが、愛想をふりまいている。
ウーン、何と言おうか。

台所。

二石釜。
<この釜1個で、約7斗のご飯を炊くことができます。3個で一度に2石、2000人分程のご飯がつくれます>、と説明板にある。

高野山金剛峯寺、ずいぶん多くのお坊さんがいたんだ。