住吉大社。

関西での二日目は、久しぶりの墓参りと、今年数えで100歳になる叔父と95歳の叔母を老人ホームへ見舞うこと。
だが、少し勘違いをし、京都を早く立ちすぎ、大阪へ早く着きすぎた。墓参りをすませた後、叔父、叔母との約束の時間まで1時間以上あいてしまった。
叔父、叔母の老人ホームは住吉区。その間、その近くの住吉大社へ行った。
住吉大社、神功皇后の時代からというから、古いどころでないお社である。
今年、伊勢神宮の式年遷宮が話題となっている。
が、<二十年に一度、宮を造り替えて新しい宮に神が遷る慣行は、飛鳥時代末期の690年から伊勢神宮ではじまったが、平安前期にもなると住吉大社(大阪府)、香取神宮(千葉県)、鹿島神宮(茨城県)の三社でもおこなわれるようになっていた>、と武澤秀一著『伊勢神宮と天皇の謎』(文春新書 2013年刊)にある。この三社については奈良時代にさかのぼる可能性も、とも記されている。
同書には引き続き、”そうではあるが、式年遷宮には金がかかる、だから”、という記述が。住吉大社の式年遷宮も、暫らく行なわれていない模様。修理という形をとっているようだ。
そうは言っても、住吉大社、古くからの神社である。

関西の神社、前日の八坂神社は”ぎおんさん”であり、恵比須神社は”えべっさん”である。で、住吉大社は”すみよしさん”であり、”すみよっさん”である。
関西の神社、古くからの曰くあるところであろうと、”さん”づけである。隣りのおばさんといった気安さがある。

”すみよっさん”と言えば、この反橋、太鼓橋である。
慶長年間、あの淀君が寄進したそうである。

その手前左右には絵馬堂がある。
さまざまな絵馬が奉納されている中に、このような絵馬があった。
”神輿船奉納記念 平成元年12月23日 ㈱浜野造船所建造”、と読める。
住吉大社、海の神、航海の守り神なんだ。

太鼓橋の上から前方を見る。

朱塗りの幸寿門を通し、前方には第三本宮が見えてくる。

正面には第三本宮。その右には第四本宮。
第三本宮の後ろには、第ニ本宮。更にその後ろには、第一本宮。

つまり、こういうこと。
左の第三本宮の右には、第四本宮。第三本宮の後ろには、第ニ本宮があり、その後ろには、第一本宮がある。

第三本宮から第二本宮、そして第一本宮へ。

神楽殿。

第二本宮。後ろは第一本宮。
住吉大社の第一本宮から第四本宮までの4棟の本殿、すべて国宝である。
<住吉造は住吉大社の本殿に見られる形式です。住吉大社の本殿、屋根は切妻、入口は妻入。特徴的な要素が多いため・・・・・、ほかの神社の社殿ではあまり用いられません>、と『よくわかる日本建築の見方』(JTBパブリッシング 2012年刊)、にはある。

第一本宮。
長い時間祈っている人がいた。

このようなしめ縄も。

御文庫がある。

このような説明書きが。
現在の国会図書館への納本制度と似たようなものなんだ。

初辰まいりの幟が多く立つ。
毎月初の辰の日にお参りをすると、家内安全、商売発達になるという。”初辰”と”発達”をかけているんだ。

その初辰まいりの楠珺社のお社。楠珺社、住吉大社の末社の一つ。

その近くに趣き深い高庫が2棟ある。共に重文。

このようなパワースポットも。

摂社、若宮八幡宮を通り、本宮の方へ戻る。

日本三舞台の一つである”石舞台”がある。
これも重文。

本殿を背面から見る。
右から第二本宮、第三本宮、そして、第四本宮。

帰途、太鼓橋の上から”すみよっさん”の方を返り見る。
”すみよっさん”のお社の方、何ごともない佇まいであった。