お父ちゃんが哀しい。その心に。

原作は、妹尾河童の『少年H』。15〜6年前の大ベストセラー。
あるはずだが、と思い探すが見つからない。読んだ記憶も明確にはない。もっとも私の場合は、買った本の半分以上は碌に読んでいないので、このようなこと、珍しいことではない。
その代わり、妹尾河童の『河童が覗いたインド』(新潮社 1985年刊)が出てきた。細密なイラストが描かれている。何であるとか、どうであるとか、写真よりも詳しく分かる。メジャーを持ち歩いていて、いろいろなものの長さも測っている。
なにより凄いのは、この書、「あとがき」を除き、全ページ手描き本なんだ。イラストはもちろん、本文がすべて手描き文字。この書は読んだ覚えがある。
そうだ。妹尾河童、ユニークな旅行書の作家だったんだ。”河童が覗いたシリーズ”、この書の前には『・・・覗いたヨーロッパ』があり、後には『・・・覗いたニッポン』がある。本業は何、ということはもちろん知ってはいたが、ユニークな旅行記の作家でもあった。

『少年H』、監督は、降旗康男。
原作者の妹尾河童は、1930年生まれ。開戦時から終戦時、そして戦後すぐには、小学生から中学生の頃である。

妹尾河童、当時の本名は肇である。故にそのイニシャルで”H”。
少年H、一本気な少年なんだ。
洋服職人である父親から、「この戦争がどうなるか、よう見とくんや」とか、「戦争はいつかは終わる。その時には恥ずかしい人になっとたらあかんよ」、と言われてはいたのであるが。
それにしても、少年Hの言動、行動、あの戦時体制の中でキレイゴトに過ぎる。
天皇陛下の赤子として、鬼畜米英と戦っていたあの時代に於いて。

外国人の多い神戸という町で洋服屋を営んでいた少年Hのお父ちゃん・父親が哀しい。少年Hのお父ちゃんに感情移入する。
洋服職人として外国人と付き合うことから、特高に引っぱられ苛酷な取り調べを受ける。
少年Hの家庭はクリスチャンである。日米開戦により、牧師の先生はアメリカに帰ったが、その後、絵ハガキが来る。ニューヨークのエンパイアーステートビルの写真が付いた絵ハガキ。
少年H、その絵ハガキを友だちのイっちゃんに見せる。その後、少年Hの机にスパイの文字が書かれたり、少年Hのお父ちゃんが警察へ引っぱられるようになる。
その原因は、イっちゃんである。しかし、少年Hのお父ちゃんは、こう言うんだ。「イっちゃんを責めてはあかんよ」、と。
終戦後の少年Hのお父ちゃんの姿が哀しい。心を寄せる。
疎開先から戻ってきた少年Hの妹が貰ってきた米を炊く。隙間だらけの隣りの部屋から覗く眼がある。また、目前で倒れ、何か食べ物を、という人もいる。
愛を説くクリスチャンである少年Hの母親、その度におにぎりを与える。少年Hには、偽善行為にしか思えない。それはない、と反発し父親・お父ちゃんに問う。
「お父ちゃんはどう思うんや」、と。
お父ちゃんは、答えることができない。じっと黙っている。
この少年Hのお父ちゃんの苦しみ、心の深奥、よく解かる。とても哀しい。
その心に寄り添いたい。

「名もなき家族」のとある。
そうであろう。
しかし私には、主である少年Hは、あまりにも真っすぐ過ぎる、と思われてしかたない。あの時代を考えるに。
それより、少年Hのお父ちゃんに感情移入してしまう。
その心、哀しい、と。