”いざ生きめやも”は、”生きねば”ってことか。

白状すると、宮崎駿のアニメ映画を観たことがなかった。アニメなんか、という思いがあった。
1〜2年ほど前、通っている近所の学校で宮崎駿のアニメを観たことがない、と言ったら、クラスメートの女性からヘンな顔をされた。
1〜2か月ほど前から、近所のシネコンへ行くたびに流れる映像があった。
”今から、宮崎駿監督作品「風立ちぬ」の特別フィルムをはじめます。4分間です。スタジオジブリ 鈴木敏夫”、というもの。予告編にしては長すぎる。
予告編というよりは、パブ広告じゃないか、番宣じゃないか、と思っていた。少なくとも3〜4度、いやもっと見たかもしれない。不思議なもので、観てみようか、と思うようになり、先日観た。私にとっては、初の宮崎駿。面白かった。

大正末から昭和へ、日本は激動の中にあった。
冒頭、関東大震災がある。地面が、家並みが、めくれ上がるようなアニメ表現。当然、2年前の東日本大震災に重なる。
美しい飛行機を作りたい、という男の物語であり、その男と結核を患う女の物語でもある。
東大工学部を出、三菱重工業へ入り、飛行機の設計をする男・堀越二郎。美しい飛行機を作りたい、という思いである。その男と結核を患う女・菜穂子の純愛物語、堀辰雄の『風立ちぬ』のシチュエーションを重ねた。

『風立ちぬ』。
監督:宮崎駿。
後のゼロ戦設計者・堀越二郎、その少年時代から青年時代にかけ、イタリアの飛行機設計者・ジャンニ・カプローニとよく話す。もちろん、夢の中で。
ジャンニ・カプローニは、堀越二郎へこう問いかける。
「日本の少年よ! 風は吹いているか?」、と。
堀越二郎、ただ美しい飛行機を作りたい、と思っている。しかし、零戦(ゼロ戦)を作ることとなる。三菱重工業で。
1940年(昭和15年)完成した零戦(ゼロ戦)、翌1941年以降の太平洋戦争での主力戦闘機となる。ゼロ・ファイターとして恐れられた零戦、当初はアメリカの戦闘機が空中戦を避けた。
しかし、宮崎駿の『風立ちぬ』には、そのようなことは触れられない。
零戦が、どのような飛行機であったかも、零戦が戦った戦争が、どういうものであったかも、全く触れない。戦争末期には、特攻機として米艦に突っ込んでいった、ということにも。堀越二郎は、美しい飛行機を作りたかった、ということ以外。
不思議と言えば、不思議である。

”堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて”、か。
宮崎駿、この自らの映画、自らの創作物の中で、さしたる主張をしないんだ。
夢の中で、イタリアの設計者、ジャンニ・カプローニから、「日本の少年よ!まだ風は吹いているか?」、と尋ねられ、また、「君のゼロは?」との問に、「一機も帰ってこなかった」、との答えはあるのだが。
宮崎駿、零戦(ゼロ戦)の設計者・堀越二郎へ身を重ねた。また、堀越二郎が夢の中で会うイタリアの飛行機設計者・ジャンニ・カプローニにも身を重ねている。
さらに、戦前の軽井沢の優雅なホテル、三笠ホテルか万平ホテルか、そこで堀越二郎と菜穂子の中を取り持つドイツ人・カストルプという男も出てくる。
クレソンのサラダをむしゃむしゃ食う男。「・・・・・、日本人、忘れる」、と話す。奥深い。ある時、このカストルプ、日本を離れる。ドイツ人でなく、ユダヤ人ではなかったか、と考える。
それより、宮崎駿、このカストルプなる男にも身を重ねているようにも思える。声高には言わず。
堀越二郎が作った零戦(ゼロ戦)についても、宮崎駿、さしたる言及はない。
靖国神社へ毎年行っている私、その境内にある遊就館へは何度も行っている。遊就館へ入ってすぐのロビー左には、零戦・零式艦上戦闘機が展示されている。小ぶりな鋼鉄の塊り、という印象がある。
零戦(ゼロ戦)、堀越二郎が作った美しい造形でもある。宮崎駿も何度か見に訪れたことであろう。
それはそれとして、堀辰雄の”いざ生きめやも”は、宮崎駿の”生きねば”ってことなんだ。
この映画でさしたる主張をしていない宮崎駿、そのしないところに、大きな思いがあるようにも思われる。
最後の作品、最後のメッセージを隠したのかもしれない。