谷中ぶらぶら、雨ポツポツ(12) 日暮里駅へ。

谷中小学校やいせ辰の前を通り、この通りへ出てくる。

久しぶりに日常世界、普通の通りへ出てきた感じがする。

よみせ通り。
千駄木の駅にも近い。オレンジ色の垂れ幕には、”谷中 千駄木 よみせ通り”、と染め抜かれていた。

よみせ通りから谷中ぎんざへ折れる。
”谷中へようこそ”の黄色い垂れ幕が下がる。

谷中ぎんざ、小さな店が軒を連ねる。
左上、天ぷら・惣菜屋の屋根には、作り物のネコが。谷中ぎんざ商店街、ネコでも著名なんだそうだ。その生死に関わらず。

「谷中へ来たなら谷中メンチ」の幟。
加山雄三や鳩山由紀夫が、メンチコロッケをほおばっている写真が貼られている。「テレビでお馴染みの・・・」、という貼り紙もある。横の方には、美川憲一とか綾小路きみまろとか何々とかといった人たちの色紙が貼られている。皆さん、ここでメンチを食った人たちであるらしい。
Sさんと私もメンチを食った。一つ150円。美味かった。

夕刻5時少し前。谷中ぎんざ、昔ながらの商店街である。

「上の方を見てご覧なさい」、とSさんが言う。「あれは切り絵です」、と。

「ほら、こっちのは、さっき行った瑞輪寺ですよ」、とSさん。
確かに瑞輪寺の山門である。70年前、いたずら小僧のSさんが、幼稚園の先生から、「悪いことをしてはいけませんよ。良いことをしなさい」、と諭された山門だ。

谷中ぎんざを抜けたところには、夕やけだんだん。

夕やけだんだんの上から振り返る。
この日は雨であったが、晴れた日には真っ赤な夕やけが見られることであろう。
それにしても、谷中ぎんざの通りのすぐ向こう側にはビルが迫っている。谷中、徐々にビルに囲まれつつある。せめて谷中の中だけでも高いビルなどは建ててくれるな、という思いしきり。


右は日暮里の駅舎。すぐ向こうには、ノッポのビルが3つもある。困ったことだが、仕方がないか。
ところでこの前、夕やけだんだんを上ったあたりでSさんに言った。「ビールでも飲んでいきませんか」、と。Sさんの答えはこう。「飲みません。酒はやめました」。驚いた。「家でも飲まないんですか」、と訊くと、「ハイ、飲みません。女房は喜んでます」、との応え。
何とSさん、酒までやめてしまった。Sさんらしいと言えば、そうなのであるが。
だから、日暮里の駅に着いたら、そのまま別れた。次回は4年半後じゃなく、せめて1年後ぐらいに、と言って。

日暮里の駅前に、このような案内板がある。
谷中ぶらぶら、私たちは、せいぜい500メートル四方の範囲を歩いていたようである。その空間世界、日常を離れた様相が多くあった。楽しかった。面白かった。
徳川慶喜のところでも記したが、その後Sさんから手紙をもらった。その手紙の中に、このようなことも書かれている。
<谷中は、毎年正月明けの一月二日に訪ねることを、もう十五年越しに続けています>、とある。
何でも、毎年1月2日、朝一番の電車で桜田門(警視庁前)へ行くそうだ。箱根駅伝のスタートを見るためだそうだが、その前後が凄い。
<築地、晴海の方から朝が明けてくる時の皇居、官庁街の眺めは格別なもので、旅情さえ感じます。・・・・・。それから日比谷公園へ行って、持参の鍋釜(登山用の煮炊き装置)を取り出し、あったかい朝めしを拵えて食う。鶉、雀に囲まれて。・・・・・。目的は箱根駅伝1区を見送ることにあります。ひいきは駒沢、農大の大根踊りもいいですね。早稲田のユニフォームのカラーは・・・>、と続く。
箱根駅伝のスタートを見送った後はこうである。
<箱根1区を見送った後、神田から万世橋、上野の山を通り、谷中を抜け、日暮里まで歩く。この東京漫歩を15年越し続けています。来年は・・・・・>、とSさんの文面は続く。今時珍しいパラフィン紙のような薄い紙にびっしりと書かれた文字。箱根駅伝を見送った後、神田を通り谷中の方へ歩いているんだ。何と言おうか、凄い、と思うのみ。
終日、細かな雨が降る中、谷中のあちこちぶらぶら歩き、日常を忘れる面白さがあった。