谷中ぶらぶら、雨ポツポツ(11) 三崎坂界隈。

表通りへ出ると、Sさん、「三崎坂です」という。
今までも何度か”三崎坂、三崎坂”と記しているが、”みさき”ではなく、”さんさき”坂。上野桜木から旧下谷区初音町へ入ったあたりで、Sさんから教わった。「三崎坂、圓朝の牡丹灯籠の三崎坂です」、とSさんやや入れこんで話す。
圓朝も牡丹灯籠もその名ぐらいは知るが、詳しくは知らない。
何でも、根津・清水谷に萩原新三郎というイケメンの浪人が住んでいたそうだ。お露という初心な娘がこの男に恋焦がれ、焦がれ死んだそうだ。その後、お露とその女中のお米が新三郎の所へ夜な夜な出てくる、という怪談噺。そのお露が住んでいたのが、谷中三崎町、現在の三崎坂である、ということだそうなんだ。
故に、「圓朝の牡丹灯籠の三崎坂です」、とSさんの話にもリキが入る。
三崎坂へ出てすぐのところに、このような店があった。

”酒”の文字がうっすらと読める。ガラス戸、すべて閉まっている。
Sさん、こう話す。
「店は閉めちゃいましたが、この酒屋には男ばかりの3兄弟がいました。僕のところも男ばかりの3兄弟です。よくつるんで遊んだものです」、と。
ボウと浮かぶ”酒”の字に、昔日の想いが重なるのであろう。
三崎坂の表通りから、また裏通りへ入る。

加納院の赤い門。
ここいらは谷中5丁目であったか。

その近辺、築地塀が続く。
ここに限らず、谷中の町中、奈良や京都の町中を歩いているような感を思わせる。

螢坂。
<江戸時代、坂下の宗林寺付近は螢沢と呼ぶ螢の名所であった。坂名はそれに因んだものであり、・・・・・>、ということが、この柱の横に記されている。

ここらあたりまで来ると、植木も少し今風になってくる。

自転車が2段に積まれている小さなマンションもある。車じゃなく自転車であるところ、おしゃれーじゃないか。

このような店も。
ボンボンって、何屋さんだったかな。

少し歩くと、「岡倉天心記念公園」があった。向こうの方に六角堂が見える。

中には、平櫛田中の手になる岡倉天心像が。

その近くにこういう看板がある。
上野公園を含む谷中の街並みが、「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれた、というもの。
その内、全生庵へ出てきた。三遊亭圓潮や山岡鉄舟の墓がある。

三遊亭圓朝の墓。

『牡丹灯籠』の圓朝。墓石に刻まれた「三遊亭圓朝無舌居士」の文字は、山岡鉄舟の筆と記されている。

その山岡鉄舟の墓。
鉄舟、海舟、泥舟と共に幕末の三舟。能書家であり、剣術の達人でもある。何よりも、幕末の動乱時、駿府で西郷隆盛と会見、勝海舟と共に江戸無血開城を為した男である。

作曲家の弘田龍太郎の墓。
弘田龍太郎、「春よこい」、「くつが鳴る」、「雀の学校」、・・・・・、多くの童謡を創っている。

よく分からないが、「叱られて」の譜面が刻まれた石碑である。
全生庵の墓地、さほど広いものではないが、幾つもの物語を抱いている。