谷中ぶらぶら、雨ポツポツ(4) 谷中霊園。

その内、こういうところへ。

わが道の人・Sさん、大きな公孫樹の下に立っている。

いつの間にか谷中霊園へ入っている。
昼飯を食ったところからさほど離れてはいない。歩いた距離は、恐らく数百メートル。

霊園内。
歩く。
[
谷中霊園、中は広い。

大きな木もある。

雲井龍雄の碑。

「谷中墓地掃苔録」というものがあるようだ。
雲井龍雄、こういう人である。
薩長に対抗する奥羽列藩同盟の組織化に奔走したが、ことが発覚、処刑、さらし首になった、という。齢、わずか27歳。
明治維新の折り、幕府側も倒幕側も、それに命をかけた男たち、皆若い。

これは何じゃ。

明治期、女房の貞奴と共に欧米を廻ったオッペケペ節の川上音二郎の銅像の台座なんだ。
太平洋戦争中、金属供出で音二郎の銅像はなくなり、台座のみが今に残っているそうだ。嗚呼。

これは?

ヘルマン・リッテル博士という人の顕彰碑。リッテル博士、明治初期のお雇い外国人。明治期、さまざまな分野で、こういう人に教えを受けたんだ。

これはお墓。
高橋お伝の墓である。

毒婦高橋お伝の名、今に伝わる。
斬首だったんだ。彼女も30前。
その背景は異なるが、奥羽列藩同盟のために奔走し、処刑された雲井龍雄も27歳、斬首された高橋お伝も30前。そういう時代があったんだ。
いつも花が絶えない、と記されているが、この日も高橋お伝の墓には花が手向けられていた。