絵描きさまざま。

昨日は、2時すぎに都美術館へ行き、まず新象展を見た。犬飼三千子の作品を見に行ったんだ。
と、図らずも犬飼のお姉さん・吉田佑子さんと会った。意志がにじみ出た巨大な作品を創っていた。暫らく話し、3時前美術館の玄関へ行った。古い知人と3時に待ち合わせていた。大調和展に誘われていたんだ。

東京都美術館、さまざま多くの公募展が催されている。
第52回大調和展。

大調和展の会場へ入る。
先ほどまでの新象展とは、まるっきり異なる作品が並ぶ。写実ばかり、抽象作品なんてものは、ひとつもない。
凄い。見事。

大調和展、その第1回展は、昭和2年に開かれている。
第1回展の時の審査員の顔ぶれは、こう。
武者小路実篤、梅原龍三郎、高村光太郎、佐藤春夫、長与善郎、岸田劉生、志賀直哉、その他今なお知られる人たちの名がずらり。
当時、発表の場を失っていた岸田劉生のために、武者小路実篤が仕掛けた団体であるそうだ。だから、白樺派の色が強く、武者小路の新しき村の延長のようなものでした、と聞く。
ただ、戦前には2回しか開かれていない。昭和2年と3年の。
戦後、昭和37年(1962年)復活第3回展が催される。だから、歴史は永いが、今年が第52回展。

大調和会という名前さえ知らなかった私、上に記したようなことを知っているワケはない。
大調和会の会友・硨島時雄さんから聞いたことである。
硨島時雄さん、昔、某企業の経営者であった。さほど親しくはなかったが、その頃見知っていた。

その硨島時雄さんの作品≪アドリア海の古都≫。
不透明水彩・グワッシュ。80号の大作である。
クロアチアのスプリットという古い町を描いたものだ、と硨島さんは語る。
硨島さん、今から十何年か前、第一線から身を引いた、という。その頃から絵を描きはじめた、という。住いとは別に、アトリエも持ったそうだ。「それまでも絵を描いていたのですか」と聞いた。「いや、まったく。絵など描いてはいませんでした」、という。

「好きな絵描きは?」、と尋ねた。「うーん、特に誰とは」、という答え。
絵描き、大体は誰か先人に影響され、”まねぶ”ことから始まる、というのが通例である。でも、硨島さんの場合は異なるようだ。

誰に影響されたわけでもない、ただ絵を描きたくなって描きだした絵である、と言う。
十何年か前、仕事の第一線を引き急に絵を描き始めた頃は、1日に8時間ぐらい描いていたそうである。住居とは別にアトリエまで持たれたということは、恵まれた環境にもあられたのであろうが、”取り憑かれた”ということでもあろう。

存在感を持つ。
この古い町のアーチから届く陽の光も。

硨島さん、第一線を引いた後、春と秋、毎年2回ヨーロッパの古い町へ行っている、という。ここ十何年、毎年2回。絵を描くために。

時計塔である。
この時、午前9時半であったそうだ。

よく見てみると、芸が細かい。
ヨーロッパの古都、石でできている。だから、長い年月を経てもその存在は保たれている。しかし、苔が生えたり、雑草が生えることもある。
石組みの間に雑草が生えている。その観察、精緻。

アドリア海の古都、クロアチア、スプリットの歴史地区、ユネスコの世界遺産に登録されている模様。
しかし、現実に住むには、エアコンの助けも仰がねばなるまい。だから、町のあちこちにエアコンの室外機があるそうだ。「エアコンばかりでも何なので」、と硨島さんは言う。
で、エアコンの室外機、このように幾ばくかは描き、幾ばくかは削ったそうである。
硨島時雄さん、確か78歳と言っていた。昨日記した犬飼三千子のお姉さんの吉田佑子さん、芸大を1957年に卒業しているので、やはり78歳ぐらいかも知れない。
今までのその経緯は異なるが、共に絵描き、アーティスト。
アーティスト、さまざまな人がいる。
硨島さんと別れ、私を大調和展へ誘ってくれた古い知人と不忍池の方へ歩いた。
池の端藪蕎麦へ。
丁度暖簾を挙げているところであった。4時半、その日の口明けの客となった。
ビールを少し飲んだ後は、焼酎の蕎麦湯割り。突き出しは、小ぶりな器になめみそ。以前蕎麦に凝っていた古い知人が選んだつまみは、そばの芽のおひたし・そばなえ、やまいものわさび漬け、丸いボールのような天だね。生からすみなんてものも初めて食った。
それはともかく、古い知人、以前会った時には中世、室町時代に凝っている、と言っていた。昨日は、話の途中で紙を出した。
見ると多くの人名が並んでいる。100人、いやもっと多く200人ぐらいだったかもしれない。すべて明治期の女性である、と言う。知っている人に印を付けてくれ、とのこと。
下田歌子、津田梅子、樋口一葉、小泉節子くらいならすぐ分かる。クーデンホフ光子もラグーザ玉も知っている。ンッ、「乃木希典の奥さんが抜けているのでは」、と言ったら、「入っている」、と返る。「与謝野晶子は入っているが、平塚らいてうが抜けているのでは」、と言ったら、「青鞜の連中は、明治じゃなくて大正なんだ」、とのこと。「大本教の出口なおがいない」、と言ったら、「宗教関係は一応外してある」、との答え。
結局、私が知っているとトンビを飛ばしたのは、四分の一にも充たなかった。
それもあってか、最後にこう言われた。「山下りんは知ってる?」、と。「山下りんは知っている。函館のハリストス正教会でも見ている」、と返す。
ひょっとすると、古い知人、四分の一程度も知らなかった私に、助け舟を出してくれたのかもしれないな。
つい、少し横道へ逸れた。