ポロック、ロスコ、そして人民元。

やはり、パソコンどこかおかしい。昨夜も、途中で文字が打てなくなってしまった。理由は分からない。今日は、また戻っている。文字が出てくる。原因は、そう大したことではないだろう。昨日の尻切れトンボ、シャクだからそのままにしてある。
あの写真は、主人公のオスカーが、昔の恋人とサマリテーヌ百貨店で会う場面なんだ。このオスカー、現実のオスカーか彼が演じている男か然としない。元恋人は、「Who were we?」を歌っている。「私たちは誰だったの?」、と。その後、元恋人、屋上から身を投げる。生と死がつきまとう。
『ホーリー・モーターズ』、インターミッションがある。そこでの音楽がいい。オスカーを先頭にアコーデオンの楽団が行進する。「Let My Baby Ride」、4〜5分近いアコーデオンの一団の演奏行進、迫力がある。
最後の写真は、バカでかい白のストレッチ・リムジン。オスカーが乗ってパリの街を走っている。
レオス・カラックス、17歳で学校をやめ映画の世界に飛びこんだ男。我が国で言えば、”大学へ行くなんて時間の無駄”、と高校を出た後は、個の世界に入り込んだ金井美恵子のようなもの。その才能、並のものじゃないが、付き合うには疲れるよ、きっと。
それにしても、ストレッチ・リムジン、どうしてパリなんだ。ストレッチ・リムジンの本場は、ニューヨークだろう。
で、この映画である。これも一筋縄ではいかない。

どでかく白いストレッチ・リムジンが、ニューヨークの街中を走る。滑るように。
大きなストレッチ・リムジンの中は、ハイテク装備の超サイバー空間である。若くして巨万の富を手に入れた男、エリック・パーカーが乗っている。
この映画、エリック・パーカーの1日の物語なんだ。
エリック・パーカー、結婚したばかりの女房がいるが、何人もの愛人がいる。年上の愛人とはリムジンの中でセックスをしている。1日の間に何人もの女とセックスをする。
ストレッチ・リムジンには、毎日検診を受けている医者も来る。エリック・パーカー、毎日前立腺の検診も受けている。医者からは、”前立腺非対称”、と言われている。それがどうした。そんなことどうってことない。


監督は、ディヴィッド・クローネンバーグ。
主人公・エリック・パッカーには、ロバート・パティンソン。細身の身体に薄いブルーのスーツ。その下には、白いシャツ。マネー資本主義の最前線を突っ走るエリック・パーカーならではの装い。

何か月か前、フロイトとユング、それにロシアから来たユダヤ系の若い女の物語『危険なメソッド』を記した。クローネンバーグ、鬼才、と言われる。確かに、そう。

アベノミクスとかで、今日の為替レート、100円を突破した。さまざまな悲喜劇が起こっている。
映画『コズモポリス』の主人公、エリック・パーカー、バカでかいストレッチ・リムジンでニューヨークの街を走る。ゆっくりと。
大統領がニューヨークに来たようだ。反大統領のデモがある。暴動に発展する。エリック・パーカーの白いストレッチ・リムジンも襲われ、めったやたら落書き、ペイントされる。
主人公、エリック・パーカー、28歳の男なんだ。マネー資本主義の世界で巨額の富を築いてきた。
今は、中国の人民元に投資している。人民元の為替変動に投資しているんだ。
しかし、やばい。為替相場、思惑とは逆の方に移行している。数十万ドルどころか、数百万ドルの損失を被る。しかし、数百万ドルといえば、日本円にすれば兆の単位、ホントかな。28歳の若者の行為として。
それはそれとして、主人公、エリック・パーカー、ドン・デリーロ原作の新潮社刊の表紙には、とても長いストレッチ・リムジンが描かれている。
サイバー空間、さまざまな事々を記す。
パンや野菜を売るでもない、自動車やテレビを売るでもない、紙幣が飛び交う場でもない。サイバー空間で、実態を離れた相場を売り買いする場、変なシチュエーションであるが、現実にある場。
資本主義の行きつく先なんだろうか。よくは分からない。
そんなことはどうでもいい。
『コズモポリス』、原作はドン・デリーロ。2000年4月某日の物語である。
新潮社刊の単行本の表紙には、とてつもなく長いストレッチ・リムジンが描かれている。
殺し、殺されはある。ニューヨークの特異な風、といったこともある。
原作では、主人公、エリック。パーカーが為替相場を張るのは日本円なんだ。十数年前。
しかし、映画では日本円ではなく、人民元となっている。時代の流れなんだろう。
この映画、オープニングでは、ジャクソン・ポロックのドロッピングが出てきた。
エンドロールの場面では、マーク・ロスコ。
ここ数十年のアメリカだ。