アラーキー三様。

我が国の写真発祥地、横浜。横浜美術館は写真コレクションでも著名。
横浜美術館コレクション展、本年度第1期の特集展示は、これである。

荒木経惟・アラーキーの三様の作品が展示されている。

まずは、≪横浜美人100人≫。

≪横浜美人100人≫、2008年の作品。ゼラチン・シルバー・プリント。
100人の横浜美人、一般公募したそうだ。

「応募資格」は、以下の3点。
(1)横浜在住、在勤、あるいは横浜が好きな方(性別、年齢、国籍、職業は一切問いません)。また本イベントは美人であることを競うものではありません。
(2)展示や印刷物、ウェブサイト等で写真を公表し、肖像権の放棄に同意できる方。
(3)撮影日時に横浜美術館へ来館可能な方(交通費、駐車料金等のお支払いはしません)。
というもの。

前記”(1)”の”性別も不問”という箇所、ンッという気もする。でも、男が応募してくればしてきたで、それもまた良し、という大らかさを持ち合わせていた、とも思える。何しろ、ハマの催しだから。
ところで、先程から横浜100美人の前に座っている二人連れ、こんなことを話していた。
「この程度なら、私も応募すりゃよかったなー」、と女。「だから言ったろ、あの時。美人コンテストじゃないんだから、お前も撮ってもらえばって」、と男。「アラーキーが撮ってくれるんだぞ。一生の宝になったんだぞ」、と男は続ける。
そうである。天才アラーキーの撮りおろしである。その男の言う通り、そんなチャンス、そうあるものではない。
念のために申しあげますと、この二人の話、作り事でありますよ、私の、もちろん。しかし、そう思えるところがアラーキーの面白さでもある、と言えませんか、ねー。

≪横浜美人100人≫と対面する壁面は、外側に湾曲している。
そこに展示された「アラーキー三様」の二つ目は、これである。
≪横浜美人100人≫と同時期、2008年に発表された≪複写美人≫である。
約100年前、明治末の美人画を複写している。だから、≪複写美人≫。

1898(明治31)年から1912(明治45)年まで、明治末の「文芸倶楽部」、「新著月刊」等の雑誌の口絵を複写している。
元の絵描きは、武内桂舟、坂田耕雪、尾形月耕、富岡永洗、鏑木清方、といった面々。すべて多色木版。

右側の3人。
右から、武内桂舟、坂田耕雪、尾形月耕の作画。

アラーキーの複写。
「坂田耕雪画(菊池幽芳著『己が罪』中編口絵より」、とした≪複写美人≫。

尾形月耕「山開き」(「文芸倶楽部」第16巻第8号口絵)、1910(明治43)年、博文館発行。
アラーキーによるその複写。

左側の3人。
左から、鏑木清方、富岡永洗、武内桂舟の作。

鏑木清方「いで湯の夕べ」(「文芸倶楽部」第18巻第11号口絵、1912(明治45)年発行)の≪複写美人≫。


富岡永洗「白蓮池前の美人」(「新著月刊」第2年第2号口絵、1898(明治31)年、東華堂発行)の≪複写美人≫。

武内桂舟「江戸芸者」。やはり、「文芸倶楽部」、1904(明治37)年発行の口絵の複写。
複写ということ、我々素人はちょくちょく行っているが、アラーキーに於いても然り。100年前の多色木版による美人画、100年後の今、趣のある美人画写真として蘇った。

アラーキー三様の最後は、これである。数多くのスライド。
右側手前にあるスイッチを押すと、少しの間電源が入る。

≪写狂人日記 ’91 1518ー8−99≫。
このような経緯を経てきた作品。

少し近づいてみよう。

もう少し近づこうか。
白い所が、警察と主催者に剥ぎ取られた箇所である。8+99、合計107箇所。

より、ぐっと近づくと、案外、ごく普通のスナップが多い。
荒木経惟・アラーキーの原点は「私写真」。
その根底には、情がある。