松井秀喜、心の揺れ。

夕刻、長嶋茂雄と松井秀喜が国民栄誉賞を受ける、ということを知った。
すぐ頭に浮かんだのは、”そうか。今日は4月1日だったのか”、ということ。しかし、エイプリル・フールのおふざけではなく、事実であった。
よかった、と思った。嬉しかった。
長嶋茂雄が国民栄誉賞を受けるのは、当然であろう。歴代の政府、そのタイミングを逃してきた。長嶋茂雄を凌駕する凄いバッターは何人もいる。野村克也とか張本勲とか門田博光とか、と。歴代政府、そのようなこともあり、長嶋茂雄への国民栄誉賞、躊躇していたに違いない。
でも、違うのだ。
国民栄誉賞というもの、国民に明るさをもたらしてくれた人に出すもの。”やはり野におけ月見草”よりは、”向日葵”にこそ相応しいもの。野村克也よりは、やはり長嶋茂雄なんだ。
”記録よりは記憶”、ということが優先する。だから、長嶋茂雄。妥当であり、当然である。
問題は、松井秀喜。
根っからの松井ファンの私、とても嬉しい。
しかし、ニューヨークの自宅で日本政府からの電話を受けた松井秀喜、まず頭に浮かんだのは、”辞退しよう”、ということだったのではないか、と考える。一般社会ではライバルと言われてきたイチローも辞退しているし、と。
国民栄誉賞の受賞を辞退している人は何人かいる。
野球界では、イチローが2度辞退している。いずれも受賞して何の不思議もない時に。「まだ現役なので」、という理由で。
あと一人、福本豊が打診に対し辞退している。「そんなもんもろたら立ちションもでけへんようになる」、という理由で。
福本豊、球界の盟主・巨人軍、また、巨人の選手は常に紳士たれ(近年は、あちこち綻びてきているが)とは対極の阪急の選手。パリーグのチームであり、関西の球団である。「そんなもんもろたら・・・・・」、という思いで国民栄誉賞受賞を辞退しても、それはそれで納得する。
松井秀喜も政府からの国民栄誉賞をとの打診に対し、”辞退したい”、とまずは考えたに違いない。福本豊のことも知っているし、何よりイチローが2度断っていることも知っているであろう。

それもあるが、メジャーでのことごとで言えば、「自分以前に野茂さん、野茂英雄の功績が大きい」、とも考えたに違いない。
たしかにそうである。野茂英雄の功績は、とても大きい。それであっても。松井秀喜という存在は別種のものなのだ。日本人にとって。
今日、松井秀喜、こう語っている。「ずっとチームのために戦ってきました」、と。
巨人のため、ヤンキースのため。松井秀喜は、巨人やヤンキース、チームのために戦ってきた、という。
でも、同時授賞という長嶋茂雄のの言葉を知らされては、万事休す。受けざるを得なくなる。
松井秀喜、巨人のためヤンキースのため戦ってきたことに異論はない。そうであろう。
でも、私はこう考える。
そうではあろうが、私の中の松井秀喜、日本というチームのために戦ってくれた感じがする。
そうであるからこそ、今日の松井秀喜の心の揺れ、如何ばかりか、との思いあり。
とても嬉しく思うとともに。