この人は聖人。

昨日の会田誠は、エロでグロで、反良識、反常識、反社会で、右でもあり左でもあるが反政治的で、といった作家である。音声ガイド(無料である。東博でも500円取るのに)での会田誠本人の話の内容から思うに、案外マトモな男である。
「天才」云々も、よしもとばななとの対談でご本人が話している通りのようである。奇才であることには間違いはないが。
その点、今日のこの人は「聖人」である。
王羲之、4世紀、東晋時代の人。303年に生まれ361年に死んだ、とされている。今から1700年近くも前のことだから、異説もあるようだが。それまでの書法を格段に高めた。書の天才。中国の歴代皇帝が彼の書蹟に夢中になった。
だからかどうか、「書聖」といわれるようになった。数多の能書家の中で別格の存在となったんだ。

半月ほど前の東博の正面前。
「書聖 王羲之」展の看板の前には、多くのチャリンコが停っていた。

この人が王羲之。
唐の太宗を筆頭に中国の歴代皇帝をメロメロにしてきた男である。

書の展覧会だというのに、そこそこ人は入っている。

行穣帖。
原跡:王羲之筆、唐時代 7〜8世紀の摸本。
2、3行目の大きな文字が王羲之の手になるものらしい。
次々と中国歴代皇帝の手に渡ってきた。最初の1行、「龍跳天門・・・・・」は、清の乾隆帝の手になるもの。「龍天門に跳ね、虎鳳閣に臥す」、という意。大仰なもの言い、聖人へのリスペクトであろう。

しかし、王羲之といえば何と言っても「蘭亭序」。
永和9年(353年)3月、王羲之は会稽山陰の蘭亭に41人の名士を招き、曲水の宴を催した。酒興に乗じて王羲之は、この日の詩会でなった詩集の序文を揮毫した。28行、324文字の序文。これが世に名高い「蘭亭序」である。
この「蘭亭序」、歴代の中国皇帝に愛され多くの複製が作られた。
臨書した臨本、原本に紙を乗せ字形をなぞった摸本。さらに石や木に彫り、それを写し取る拓本。
「唐摸宋拓」という言葉があるそうだ。唐時代には摸本が、宋時代には拓本の技術が、最高水準に達した、という。南宋時代には、「蘭亭序」の著名な拓本だけでも800本を数えたそうである。
東博にも、「蘭亭序」の摸本、拓本が数多く集まっていた。書には疎いが、”蘭亭”という文字だけを見ていても美しい感じがしてくる。

蘭亭図巻ー万暦本ー。
原跡:王羲之等筆。明時代 万暦20年(1592年)編。
<北宋の画家、李公麟が描いた絵をもとに、明時代に作成した拓本。蘭亭の雅会の盛況ぶりを伝えます>、と説明にある。

右 「蘭亭序」、左 「行穣帖」。
美しいな、やはり。
ところで、おしまいにこんなことを書いてナンであるが、王羲之の真蹟、現在ひとつも存在していない。「蘭亭序」など、唐の太宗が自らの陵墓の副葬品としてしまった。
今あるのはすべて、臨本であり、摸本であり、拓本である。それらが王羲之の存在感を高めている。
書聖として。