東博の巳(続き×2)。

子、丑、寅、卯、辰、巳・・・・・戌、亥の十二支、年ばかりじゃなく、月、日、時といった時間や、東西南北といった方位を示す言葉であった。それが、古代中国で特定の動物と結びつけられ、その動物自体、時空を司る神としての神聖性を身につけた。
その十二支の中のヘビ。

十二支図。
渡辺南岳(1767〜1813)筆、絹本淡彩、江戸時代 18世紀。
<南岳は写生を重視した京都画壇の重鎮・円山応挙の高弟。・・・・・蛇の形態や肌触りなどに見られるように、筆数を抑えた描写でありながら、それぞれの生き物の特徴を的確にとらえた南岳の高い技量を示す作品である>、と説明書きにある。
一見、ごく普通の写実画のように見える。しかし、目を近寄せると、ごく普通ではなく思えてくる。鼠、牛、虎、兎、龍、蛇・・・・・犬、猪まで、この動物、確かにそうだよな、と思われる。

十二類合戦絵巻 上巻(摸本)。
狩野養長模、紙本着彩、江戸時代 19世紀(原本:室町時代 15世紀)。
<十二支主催の歌合で狸が判者になろうと申し出るが反対され、恨んだ狸が十二支以外の動物たちと合戦を挑むという物語。敗れた狸は妻子と別れ、法然上人のもとで出家し歌道に専念する。男性として擬人化される動物たちの中で、ヘビのみが女性の姿で描かれる>、とある。
『十二類合戦絵巻』、室町時代のお伽草子なんだ。その絵巻。東博の説明書きには、”狸が判者になろうと申し出るが反対され”とあるが、反対どころか、狸はさんざんに殴られるんだ。鼠、牛、虎以下十二支の連中に。いじめじゃないか。狸が可哀想だよ。ここに、十二支の動物たちの神聖性が見てとれる。
十二支の動物軍と狸軍との間に戦争が勃発する。狸軍には、狼や狐、鳶などが加勢する。反十二支軍である。
しかし、勝負は初めから決まっているようなもの。プロレスのタッグマッチでいえば、十二支軍はベビーフェイス(善玉)で、狸軍はヒール(悪玉)なんだから。ベビーフェイスの勝ちに決まっている。で、敗れた狸は妻子と別れ出家する、と相成る。ますます狸が気の毒に思えてくるよ。十二支の動物だけが神聖か、と。
それはそれとして、室町時代、このようなお伽草子が、衆生済度の一翼を担っていたに違いないんだな。

金庾信墓護石十二支拓本のうち巳。
拓本、掛け軸、明治時代 19世紀。
<金庾信(595〜673)は百済、高句麗を滅ぼして三国を統一した新羅の将軍である。その墓所は現在も慶州にあり、土墳の周囲は十二支のレリーフに囲まれているが、そのうち蛇の拓本である。同様の十二支図像は中国にもあり、日本では奈良の隼人石にその影響が表われている>、と。
それにしても、金庾信なる人、ずいぶん昔の人なんだ。7世紀前半といえば、日本では飛鳥時代だ。聖徳太子の時代である。慶州に墓、土墳があるんだ。円墳だ。きれいな円墳だろう。
新羅の都・慶州には、円墳が多くある。いずれもこじんまりとしたものであるが、とても美しい。
ずいぶん昔、釜山(プサン)を経由して慶州(キョンジュ)へ行った。アンニョンハセヨ(こんにちは)、カムサムニダ(ありがとう)を含め、知る韓国語は6つのみ。それもカタカナで。でも、何とかなるものだ。キョンジュ(慶州)の人たち、宿屋のおかみさんも、食堂のおねーさんも、バスの中の女子高生も、皆いい人、親切な人ばかりであった。
キュンジュ(慶州)の町中に、小ぶりだが美しい円墳が幾つもあった。新羅の将軍・金庾信の円墳も、その中にあったのであろう。

よきことを菊の十二支。
歌川国芳(1797〜1861)筆、横大判 錦絵、江戸時代 19世紀。
<歌川国芳は、器物の集合絵を得意とした。幕末に流行した菊人形に倣い十二支を描き、斧(よき)・琴(こと)・菊(きく)の模様を染め出した尾上菊五郎の役者柄で知られる「よきことを菊」をタイトルに入れ、それぞれの干支に「・・・・・聞く」の地口を添える。蛇には「巳になる事をきく」>。
江戸期の絵描き、十二支を描くのに、菊人形、歌舞伎、地口、口合、語呂合わせ、さまざまなものを取り入れ洒落てたことが窺える。