松井の引退。

予想されていたことである。しかし、やはり、感慨は深い。
松井秀喜らしいけじめのつけ方である。日本の球団へ戻ってくることなど考えてはいないだろう、とは思っていた。そんなことがなくて良かった。
しかし、恐らく何日か前までは、ニューヨークの自宅の一室で素振りをしていたに違いない。大リーグのいずれかの球団からオファーがあれば、と思いつつ。いや、メジャーでなくともマイナーからのオファーであっても、と。メジャーからのオファーがなく、春すぎにやっとタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ今年のように。 
今日の引退会見で、20年間のプロ人生で一番に思い浮かぶシーンを聞かれ、「長嶋監督と2人で素振りをした時間」、と答えている。「毎日のように2人きりで指導していただき、僕の野球人生において、本当に大きな礎になった」、とも。
松井秀喜、実直な男だ。長嶋茂雄の教え、絶えることなき素振り、次なる戦いの場への備えとして、ずっと守り続けたことだろう。ほんの何日か前まで。
松井秀喜の20年、巨人が10年、ヤンキースが7年、エンゼルス、アスレチックス、レイズが各1年。日米、10年ずつの20年。巨人の4番は、当然、日本の4番であった。日本の4番として海を渡り、ヤンキースでもクリーンナップを任された。
日米通算2504試合、2643安打、507本塁打、1649打点、平均打率は2割9分3厘。立派な数字である。ヤンキースを離れた後のここ3年の成績はガクッと落ちているが、ヤンキースでの7年間の成績は、立派なものである。一流選手の数値を残している。しかし、一流選手のデータではあるが、残念ながら、超一流選手のデータではない。アメリカの野球の殿堂入は難しかろう。
しかし、松井秀喜は、特別な男であった。
日本人のメジャーリーガー、凄い選手が何人かいる。野茂英雄がいる。恐らく、4〜5年後のダルビッシュ有も、そうなるであろう。何より、イチローがいる。イチローこそ凄い選手、数々のメジャーリーグの記録を塗り替えた。恐らく将来、アメリカの野球の殿堂入りをするだろう。
しかし、松井秀喜は、彼らとはどこか違う。異なる。
松井秀喜、日本人と重なるんだ。ニューヨークの松井秀喜、松井自身はそんなこと、露ほども思っていなかろうが、日本を体現させるんだ。日本にいる我々に。いわば、松井秀喜が日本であり、松井秀喜の存在が世界の中の日本人すべて、ということが言えるんだ。
そういえば松井秀喜、どこか健さん・高倉健に似ている。共に愚直なところ、口下手なところ、よく似ている。そこのところに、日本人の心をどこか和ませる何かを持っている。
松井の引退会見、ニューヨークで行われたのもよかった。
いつか、「ニューヨークが好きです。ヤンキースが好きです。ヤンキースのファンが好きです」、と言っていたニューヨークでの会見が。
松井秀喜、2003年、ニューヨーク・ヤンキースへ入団する。巨人からヤンキース、松井秀喜にこそ相応しい。
そのヤンキー・スタジアムでの御目見えのゲーム、松井秀喜、満塁本塁打をかっ飛ばす。ニューヨーカーの目の前で。2009年のワールドシリーズでは、日本人初のMVPにも選ばれている。
松井秀喜、記憶に残る男である。
いや、記録も記憶もどうでもいいかもしれない。松井秀喜という男、そのような人であった。
今日、その男が一線を引いた。けじめをつけた。
よかった、と思う。でも、やはり、寂しい。