貧困、格差。

現代の貧困、貧困の現在を考える。

人類の歴史、貧困の歴史であった。

貧困を減らすものは何か?
援助か、共産主義か、国家支出か、あるいは、グローバリゼーションか。いずれも貧困を生み出してきた。

こういう状況、世界中あちこちで行われている。デモである。そうでないのは、唯一、時代離れした北朝鮮ぐらい。

貧困の問題、ますます厄介になっている。
ノーベル賞受賞の経済学者・スティグリッツ、こう話す。「経済が発展すれば誰もが恩恵に預れる、という考え方はナンセンスである。むしろ格差は広がっている」、と。
世界各国それぞれの国内の貧富の格差、どんどん広がっている、という。

アメリカの人口は、3億人強である。そのアメリカで、たった400人の人が、全人口の半分、1億5千万人と同等の富を持っている、という。驚くべき格差である。
しかし、本当に驚くべきは、それだけではない。この格差、どんどん広がっているそうだ。「今や、アメリカン・ドリームという考え方は成り立たない」、というレポートが多いことに驚いた。マンハッタンの先端、ウォール街のすぐ近くでデモが繰り返されるのも理解できる。
上位10%の所得を下位10%の所得で割った指標がある。
主要国の格差を見てみると、日本は、フランスやカナダと同程度で、10倍以内。主要国で格差が最も少ない国は、ドイツである。イギリスやロシアは、日本より格差は大きい。アメリカは、より大きい。
しかし、主要国の中で、最も格差の大きな国は中国である。アメリカよりも大きい。共産主義国家と称しながら、その実態は、極端な資本主義国家である中国、貧富の格差は開く一方である。
うろ覚えではあるが、2〜3か月前の何らかの報道に、こうあったような気がする。”今、中国で100万ドル以上の資産を持つ人は、200万人以上いる”、と。
今の中国、ミリオネア、百万長者は、200万人いるんだが、その1/100、1万ドルも持たない人はどれほどいよう。おそらく、5〜6億人、場合によったら10億人近くいるかもしれない。極端な格差社会となっている。
実は、<日本の格差もどんどん拡大し続けている>(阿部彩著『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』、講談社現代新書、2011年刊)という。
書名の中にある”社会的包摂”とは、社会から排除された経済弱者を”包み込む”施策、というもの。今、そのことには関わらない。格差のみに絞る。
日本のケースについて、こういう箇所がある。<日本の格差は、中間層と富裕層との間の格差は少ないものの、中間層と貧困層との間の格差が大きいので、・・・・・>、と阿部彩は記す。
今の日本、極端な金持ちの少ない国である。ミドルクラスが多い。しかし、近年、低所得層が増えている。解りやすく言えば、正規社員と非正規社員の違い、と言えよう。パート、フリーター、そのような非正規労働者が増え続けている。社会から排除されてている人たち、ということもできよう。

日本に於いても、格差はひらくばかり。格差がひらき、増幅するとどうなるか。格差の問題に火をつけたイギリスのリチャード・ウィルキンソンの指標を、同書から複写する。
環境が悪化する。こういうこととなるんだ。
この問題、まだ続きを書こうと思っていたが、眠くなった。明日にする。