貧困、格差、排除、煽動、愛国。

<震災の前までは、貧困や格差に対して何とかしなければいけないという世論が盛り上がっていた。それが、震災を機に、一気に論調が変わった。復興に必要な多大な財源を理由に、震災以前からの格差問題や貧困問題は棚上げされている>。『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』の中で、同書の著者・阿部彩、こう記す。
今日、公示された衆院選、いつの間にやらずいぶん多くの政党ができた。その争点は、原発、消費税、TPP、外交、憲法。阿部彩がいう通り、貧困問題、格差問題は、”なきが如し”である。今の日本、本当にそうなのか。
阿部の書に、「マタイ効果」という言葉が出てくる。
<すなわち「マタイ効果」とは、「格差は自ら増長する傾向があり、最初の小さい格差は、次の格差を生み出し、次第に大きな”格差”に変容する性質」を指す>。格差はどんどん増幅するということ、世界共通。
総務省の「労働力調査」によれば、今、日本の非正規労働者は1786万人、全雇用者数の35.1%。パート、フリーター、呼び方はさまざまであるが、低賃金が日常となっている層が増えている。ますます格差の下層になっていく人たち、アメリカや中国に限らない。
特に、15歳から24歳にかけての若年男子の状況が酷い。非正規雇用にニートや失業者等を合わせた比率は、47.8%になるという(総務省「労働力調査」)。彼ら、社会から排除された存在である。
彼ら、鬱積した不満のはけ口を、どこに求めるのか。どうするか。
今、左翼は受け皿にならない。彼らが羽を休める所のひとつは、右翼になることであろう。それにも、ふた通りある。一つは、行動する団体へ入ること。
<・・・・・私が所属していた右翼団体はほとんどが中卒や高卒のフリーターだったので、頑張っても何ともならない社会に放り出され、・・・・・。メンバーもみんなすごく若くて・・・・・、みんなフリーターで、・・・・・>(雨宮処凛、佐高信共著『貧困と愛国』2008年、毎日新聞社刊)。
この書、雨宮処凛と佐高信の対談集であるが、その中で、雨宮処凛、自身のことばかりじゃなく、若いフリーターが右翼団体に入ることによって、日常の厳しさを忘れ、サークル的なノリで活動し、勉強もしたことを語っている。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」(単なる”維新”ではない。さらに”赤誠”なる文字を組み合わせている。過激度、弥増す)を結成、フセイン時代のイラクへも招かれている。一水会の仲立ちで、というところが面白い。
<最底辺で外国人と日本人が混在して働いていると、自分が日本人であることでしかプライドが保てなくなってしまう。・・・・・差別したいわけじゃないんですけど、でも何かそこで差別心が働いてしまう。差別しないとやっていけないというところはどこか否定できないというか。だって自分が社会全体から差別されているわけですから>、と雨宮処凛は語る。
<働いている現場は、アジアや貧しい国の人たちと一緒で、自分が国際競争の最底辺で捨て駒にされているということを痛感させられる。バイトに行くと中国人や韓国人が同僚です。そこで何か愛国の方へ向いてしまう。・・・・・地方のネット右翼の人に話を聞くと、・・・・・、思いっ切り愛国の方に行っちゃう人が・・・・・>、とも。
開いた格差の底辺部にいる若い人たち、排除されるが故に、愛国者たるネット右翼となっていく。ネトウヨだ。団体に属さないネトウヨの顔は見えない。
それだけに、より先鋭化する。反対側の連中に対し、外国人に対し。それが、格差社会の中、厳しい日常のカタルシス。そう思えば、哀しい構図であるが。煽っているヤツは、格差社会の上の方にいる連中というのも、より悲しくなる現実。
このこと、何も日本だけの現象ではない。
この9月15日の反日デモ、西安で日本車に乗っていた中国人を襲い、頭蓋骨骨折の重傷を負わせた男がいた。この男、地方から西安へ出てきた最底辺の労働者であった。超格差社会の中国で、最底辺に取り残された男が叫んでいたのは、「愛国無罪」。
”愛国”が、格差社会の最底辺に住まう彼のカタルシス。これも哀しい。おそらく、韓国の反日運動でも、同じようなことはあろう。
貧困の行きつく先は、いずこも愛国、か。